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長野県長野市大町~
穂保~津野~赤沼
もとは西厳寺の塔頭だった寺院


▲堤防から西光寺の本道を眺める

■西光寺■


▲茅葺屋根の形状を保つ屋根

  林光院前から始まる鉤の手辻を曲がらないで東に直進すると、寺町の小路となり、そのまま小路は南転して堤防道路にのぼっていきます。
  この小路の南側にあるのが山崎山西光寺です。往時は西厳寺に付属する塔頭でしたが、今では単独の寺院で、西光寺と同等に東本願寺の末寺としての地位にあります。
  寺伝によると、1263年(弘長年間)の開創だそうです。開山の祖は慶念和尚。慶念は、もとは下総飯野城主、平政晴の家臣、山崎十太夫重晴だということです。政晴(僧空晴)は西厳寺の開創者ですから、主君が得度してから7年後に仏門に帰依したということです。
  してみると、主君に倣って仏門に入り下総に寺院を開創し西光寺の塔頭になって、その後室町期に北信濃にともに移転してきたのでしょうか。それとも、別の道を歩んだけれども、やがて西厳寺に付属するようになったのでしょうか。開山当初は寺は戸隠にあったとも伝えられているとか。
  明治6年の火災では西光寺だけが燃えずに残ったそうですが、屋根が茅葺きの上に銅板を葺いたような造りであるのは、江戸時代からの古い形状を保っていると見られます。


▲天を衝くように鋭く屹立する大屋根


鉤の手を東に直進する寺町の小路:左側が西光寺

棟間口は狭いが古い形で風格がある本道

本堂前にある手狭だが端正な庭園

西光寺の本堂: 向拝へと中央部が盛り上がった重厚な屋根

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