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長野県上田市
 
 
城下町の宿場  

  城下町としての上田はまた北国街道の宿場町でもあります。
  江戸と北陸・越後を結ぶ街道、北国街道は幕藩体制とともにつくり上げられ、徳川幕府によって整備・確立された街道といえます。したがって、宿駅としての上田よりも城下町としての上田の都市集落の方が先に形成されたということになります。
  城の周囲の都市集落・町割りの土台となる仕組みは、真田家による城砦づくりによって創出されたのです。松本城のサイトでも見たように、城郭・城砦の構築は周囲の広大な土地の造成や都市の建設でもあったのです(⇒参考記事)。

▲旧北国街道沿い 柳町の街並み: 歴史的景観が保存されている。

  柳町の家並みと石畳の道の彼方には太郎山が見えます。その山麓には真田家の砦があって、上田城内の井戸から抜け出る秘密の地下道が通じていたといいます。
  上田市街の中心部から北に見える太郎山(ならびに東太郎山)は、町にとっても城にとっても、そして市民にとってもアイデンティティや郷愁の拠り所となる象徴的な存在なのです。
  太郎山を真北に見ながら歩くこの柳町通りの北国街道は、城下町上田のなかでも印象的な散策スポットなのです。

■北国街道沿いの街並み■

  JRとしなの鉄道の上田駅「お城口」から北に延びる街路は国道141号です。この道を歩いて1キロメートルほどのところにあるのが、旧北国街道上田宿の古い街並み景観を保存している柳町通りです。
  さて、駅前から北に歩いて「中央3丁目」交差点を左(西向き)に曲がると40〜50メートルほどで北に向かう石畳の路があります。この通りが柳町通り。


▲町の名の通り、柳の下に柳町の案内表示がある

◆蔵の家並みと石畳の旧北国街道◆

  石畳の街路は歴史の深さを印象づけます。古い街並みにふさわしい道具立て。
  城下町の上田は藩庁としての城があって、この一帯の行政の中心地でした。そしてこの町は北国街道の宿駅でした。そのうえ、塩田や別所の脇を通る松本街道との結節地でもありました。
  人口も多く、千曲川の舟運も盛んで、近隣一帯の商業の中心地であったことから、富裕な商家が集まっていました。
  だから、往時から上等な漆喰の壁の蔵造りの町屋が軒を連ねていたのです。


▲創業350年の蔵元、岡崎酒造

  上掲写真の蔵元は創業が1665年で、350年も続く老舗です。その時代に酒造りができるほどに多くの米の生産量があって、商品とできるほどの街集落の住民人口があったということです。

この柳が柳町通りの入口

石畳の路が街並みへの期待を抱かせる

通りの彼方に太郎山が見える
 
やや狭い小路風の通りが歩きやすい

はすみふぁーむ&ワイナリー

漆喰壁の町屋が並ぶ石畳の街路

上田街あるき情報

真田期の上田城縄張り

  • 戦国時代末、真田家が領主だった時代の上田城の縄張りの復元推定絵図です。

上田城跡公園の案内図

  • 江戸時代の真田上の縄張り絵図
  • 現在の上田城跡の構造(遺構)の絵図
  • これらを比較できます。
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