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長野県塩尻市広丘
郷原~堅石~原新田
  北国街道西脇往還は善光寺街道とも呼ばれます。この街道は、中仙道のように幕府支配ではなく、江戸初期に松本藩によって建設されたものです。
  郷原は街道建設時に新設された比較的に小さな宿場街でしたが、今古民家と街並みが比較的良好に保存されているのは、塩尻市ではここだけです。
  古民家はもとより、住居と道路のあいだに手入れの行き届いた小庭園や植栽が続く景観は、ことのほか美しいものです。

  写真は、郷原宿の下問屋がある一角の家並み【撮影は5月初旬】
郷原宿と街道の歴史と地理

  塩尻市から松本市にかけて善光寺街道の道筋は、だいたい県道294号と重なってます。そして、この道路に沿って旧郷原宿とその近隣3キロメートルほどは、古い街並みや古民家を残す地区として、地元の人たちから「郷原街道」とも呼ばれています。
  今回めぐり歩くのは、塩尻市広丘郷原の諏訪稲荷神社前から堅石集落を経て原新田の広岡小学校や塩尻短歌館辺りまで、およそ3キロメートルの区間です。郷原宿には本陣、脇本陣がありません。新たにできた小さな宿場街のためか、この街道を参覲のために通行する大名家がめったになかったせいか? 幕府の高官などがここを旅した場合、郷福寺が宿泊接待をしたのだとか。


▲郷原宿の庄屋山城屋の本棟造り古民家。道路との間にかつての前庭の名残の庭園植栽がある。


▲郷原宿下問屋の斜向かいの商家古民家(土蔵風)

  旧松本藩領の街道宿場街には、町家家屋と街道とのあいだに幅2間(約3.6メートル)の前庭を置くことに定められていました。街道幅員の真ん中には宿場用水が流れていました。用水を挟んで両側1間ほどの往還が通っていて、その両傍らに幅2間の前庭が並び、その背後に宿場の町家が並ぶ、これが街道の風景でした。
  ところが、明治以降――とくに昭和期――の道路拡幅にさいして、街道の両側の住民は前庭を縮小して、それぞれ1間分の土地を新道のために提供させられました。


▲塀越しに郷福寺庫裏。郷原集落はこの寺から南に伸びる。

  そしてその後、それぞれの住居の前(道路側)に残された前庭を住民たちは丁寧に手入れして、まるで高級住宅街のような美しい庭園や植栽が道路沿いに続く景観を形成することになりました。

あいの宿場として発足■

◆桔梗ケ原台地◆


▲街の南には変電所の設備が見える

  郷原宿が位置する松井元平の南部は桔梗ケ原と呼ばれています。この美しい地名は、奈良井川とその支流の田川に挟まれた一帯の河岸段丘台地をさしています。具体的には、塩尻市平出から広丘までの区域に当たります。
  さて、江戸幕府の統制下で街道制度が形成されるはるか以前から、京洛から近江や美濃、木曾を経て信州中央部を抜けて上州に連絡する交通路として東山道――道筋は幾通りもあった――がありました。東山道を経て長野の善光寺あるいは北越に向かう道もありました。
  その意味では、北国街道西脇往還(善光寺街道)の土台=前身となった小径が古くからあって、善光寺街道はそれを下敷きにして建設されました。
  1614年(慶長年間)から松本藩が善光寺街道を整備し始めた頃、前身の街道沿いにあった桔梗ケ原前後の街集落は、洗馬宿と村井宿で、この2つの集落のあいだの道のりはおよそ3里(11~12キロメートル)。当時の宿駅の間隔は2里ほどまでを標準としていたようで、松本藩としては2つの宿場集落のあいだに新たに宿場街を建設することにしました。


▲家屋と道のあいだに前庭がある

▲前庭の植栽が美しい

▲湯便局の居住部分は古い造りか

◆新たな宿場街の建設◆

  そういううわけで、松本藩は新たな宿場街を形成するために、税=年貢の減免など優遇条件で住民を移住させ、農耕地開拓と村落建設をおこなわせたようです。
  選ばれたのは、現在地の段丘の下の奈良井川河畔にあった2つの集落住民でした。東岸(右岸)の集落と西岸(左岸)の堅石集落がそっくり丘の上に移ることになりました。
  そのため、宿場の街割り(敷地の区割り)は計画的にとともに整っていて、宿内の敷地はすべて街道に面する間口は狭く、奥行きが深い短冊形になっています。一方、砂礫土壌なので宿場の生活と耕作に用いる水の確保には苦労したようです。


▲障子戸の入り口が懐かしい
▲前庭の植木が並ぶ

  郷原は農村田野のなかに建設された宿場街なので、街道沿いの家並みの裏手には田畑が広がっています。西側には奈良井川流域の水田地帯や河岸段丘沿いの樹林が続いていて、そのさらに奥には北アルプス南部の乗鞍高原が遠望できます。東側には田園風景の彼方に美ケ原高原から蓼科高原にいたる山岳風景が見えます。
  ことに塩尻では、水はけのよい桔梗ケ原丘陵では果樹栽培が盛んで、あちらこちらにブドウ園も見えます。


諏訪稲荷社参道前から街道南を望む

同じ場所から街道北を眺める

田中屋という屋号の家屋。カエデの葉が萌え始めている。

大棟両端に雀脅し(雀踊り)と呼ばれる棟飾りがある

川上屋の商家古民家

軒下の棟板は瓦葺きになっている。

郷原郵便局はもとは宿の問屋だった

現在は和風の現代建築となっている

庄屋山城屋の町家

下問屋の町家。左手に古井戸がある。


街並みの裏手に回ってみると田園風景が広がる

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