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長野県北安曇郡白馬村神城
街道沿いの祈りの場


▲国道と塩の道の交差点近くにある飯田北原庚申塚石仏群: 意匠や技法はじつに多様だ

  私は小谷村千国の里から塩の道を南に歩いてきましたが、沿道には数多くの寺院や小堂、神社があって、さらにいたるところに石仏群や野仏が置かれているのを目撃してきました。まさに千国街道は「祈りの道」です。
  飯田集落にも、あちらこちらに馬頭観音や庚申塔、石仏・石塔が立てられています。なかでも、北原の庚申塚にも、ざっと見渡して80基以上の石塔・石仏が集められています。


▲イチイの木の下に並ぶ石仏群

  現在、この近辺の水田地帯は区画整理されて面積が広げられた長方形の圃場になっていて、農道も拡幅舗装されているので、圃場整備や道路整備のさいに移設されてここに集められたということもあるのでしょう。
  それにしても、石仏・石塔の数が多いのは、古くからの各住戸ごとに石仏や石塔をつくって奉納する習わしがあったからでしょう。奉納は村落の大きな祭事や災害、冠婚葬祭のさいとか、あるいは経年劣化で古びた石仏が取り換えられたりという形でおこなわれ、家門子孫や村の息災繁栄への願いが込められていたのでしょう。
  白馬小谷方面には、三州街道(伊那街道)を通って千国街道をたどって、高度な技能で有名な高遠石工たちも時季に合わせて訪れ、石仏づくりに貢献したと伝えられています。


庚申塚石仏群は墓地や石地蔵などがある広場の北端にある(背景は大糸線の列車と五竜岳)▲

■路傍の石仏を拝む■

  北原庚申塚は、国道148号の西側の六地蔵が置かれた墓地の片隅にあります。信州では、寺院の墓苑のほかに、田園のなかに集落の墓石が集められている墓地がいたるところにあります。
  私の勝手な推測では、室町時代以降(ことに江戸時代に多い)、高台にある母村から開拓のために河川の流域の湿地帯に入植して形成された村落では、母村の寺院が遠くにあるため、開拓した耕地のなかに共同の墓地をつくったのだと思われます。
  そういうところでは、共同墓地の一角に小さな地蔵堂や薬師堂などを設け、なかには――ことに古い街道沿いでは――そこに馬頭観音や道祖神、庚申塔とか二十三夜塔などを並べたりすることもあったようです。私が暮らしている集落にもそういう場所がいくつかあります。

  北原庚申塚の石仏群で目立つのは、不動明王像です。その多くは合掌した形のものですが、なかには三臂(腕が3対)の像があって、剣と三鈷、縄などを携えています。


ひとつひとつには願いが込められている

▲左端の不動明王は三臂で右手に剣と三鈷を携えている

▲六地蔵と大乗妙典供養塔が並ぶ


往時の面影を残す農道。石仏は林野の路傍にあった。

飯田北原の庚申塚

庚申塔の周りに並ぶ石仏と石塔の群れ

石仏たちは集まって何かを伝えようとしているのか

晩秋の薄日を浴びる石仏たち

  浮彫の仏像の多くは不動明王で、合掌の形のものが目立つ。なかには三臂または二臂の像もある。不動明王は大日如来の化身とも脇侍とも言われていて、この地方に古代には密教、戦国以降には禅宗の強い影響があるものと見られる。

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