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長野県北安曇郡白馬村
山間の古民家集落

  縄文時代から鎌倉時代頃まで、姫川の峡谷沿いに北安曇の内陸部に入り込んで開拓・開墾を進めた人びとの主な住民集落は、姫川の河床から標高にしてだいたい100メートルほど高いところにつくられていたようです。というのは、やはり台風や雪解けと豪雨が重なった場合の姫川水系の水の暴威を怖れていたからです。
  白馬地方でも室町時代までは、姫川の東側に続く山並み(尾根筋)に主要な村落が形成されていて、姫川や松川、平川流域の谷間平坦部での開拓が進んで集落がいくつかできてからも、開拓の起点となった母村は、高戸山や岩戸山、東山や柄山などの尾根や谷間に根強く残されていたようです。これらの村々は、さらに東方の鬼無里や戸隠、長野善光寺などに杣道や尾根道をつうじて結びついて、独特の豊かな文化圏をなしていたものと見られます。


▲集落西端の畑からの眺め: 茅葺き古民家の屋根が並ぶ美しい景観


▲集落の奥にある急斜面の棚田からの集落の眺望:彼方の山脈は、唐松岳、八方山、白馬岳など

  そのような山間の豊かな農村文化を現在に伝えているのが、青鬼集落です。塩島集落から北東に直線で3キロメートル、道のりで5キロメートル余り離れ、標高にして100メートルほどのぼった岩戸山の中腹の谷間に位置しています。
  集落と棚田、青鬼神社などを含めて、だいた標高750メートルから800メートルに位置しています。
  これまでのところ、住民の流出と過疎化がかなり進んだ村落ですが、最近の気候変動にともなう河川氾濫や土砂崩れなどの豪雨被害が、江戸時代末期から昭和期にかけて便利さを求めて住民が集まった平坦地に集中していることを考えると、昔の人びとの生活の知恵や賢明さに想いがいたります。
  昔の人びとは長い長い世代、数千年にわたって平野部や盆地の平坦部が水害の脅威に対して大きな危険をともなっていて、人間がきわめて無力であることを、自然の前に謙虚に認め受け入れて生活を営んでいたのです。


青鬼神社参道脇の古民家:冬が長い豪雪地帯なので、陽光と風を取り入れるため――ことに
二階で養蚕を営むため――、家屋の南側の屋根を大きく上に切り開いてある造りになっている


鉄道オタク垂涎の鉄橋シーン!

◆姫川峡谷を往く◆

  青鬼集落にはいち早く訪れてみたいのですが、そこまでの道すがらもなかなかに楽しい歩き旅となります。塩島集落から八幡社の鳥居前を東~北東に向かう道を往きます。体力に自信がない人は、クルマで行きましょう。
  塩島から青鬼にいたる道筋を歩くのは、白馬村北城の姫川流域がどのような地形なのかを知る大変によい機会です。白馬岳山頂の真下から流れ下る松川が平坦部に出て西から北に湾曲しながら姫川に合流し、そこに楠川も西から流れ込む。東からも沢や谷川が注ぎ込む。こうして北城には広大な複合扇状地ができ、それぞれの水流に沿って河岸段丘群が形成されている地形です。
  白馬連峰の膨大な量の降水を集めて東流する松川は、姫川の支流のなかでも最大の流量を誇っています。したがって、塩島の合流点から姫川の流涙量は一挙に増大します。それに比例して、河川の浸食作用と破壊力もまた極大化し、右の写真の河岸段丘崖は一番深いところで高低差10メートルにも達します。


▲段丘崖の下、河川敷に広がる広大な水田地帯

▲発電所から望む青緑色に輝くダム湖の水面

▲ダム湖から勢いよく流れ落ちる水

  一級河川などの大きな河川は、だいたい大きな断層帯の脆い地質の亀裂に膨大な水が落ち込むように流れ込んで形成されます。姫川は大地溝帯(フォッサマグナ)の割れ目に沿って南から北に流れています。その地溝のなかで特に脆いところで、なおかつ水量が増大する場所では大きな滝が刻まれます。しかも、そういう場所では両側から山が迫っていて、谷が狭くなっているのです。
  それがまさに、ここなのです! ダムの手前300メートルほどのところから、突如川の勾配がきつくなって、鉄橋の真下ではそこだけで15メートル以上の落差の滝となっています。ここに姫川第二ダムが建設されたのは、膨大な水量が集まる場所で、水勢が河床を破壊しないように、また土石流を回避するためにも、人工のダムと滝をつくり、水の破壊力を弱め、なおかつ発電や灌漑用水に利用しようとしたからだと思われます。

◆鉄道オタク垂涎の風景◆


▲赤い鉄橋から大糸線鉄橋を眺める

▲古い鉄橋の橋脚遺構は円柱形!

▲2つの鉄橋があわや交差か

  じつはここには、鉄道オタクが垂涎する鉄橋シーンがあるのです。深い峡谷、姫川本流の滝、滝の直前のダム、古い吊り橋の遺構、自動車用の赤い鉄橋(昭和期の古い型)、古いJR鉄橋の遺構が隣接し、これらにまだ現役の古典的な鉄橋「大糸線第一姫川橋梁」が共演しているのです。
  こんな景観は、ここにしかありません。
  滝の真上にある古い鉄道橋脚は劣化して荒廃し、やがて崩落するかもしれません。でも、何やらすごく懐かしい風景です。

◆青鬼集落にのぼる山道◆

  赤い鉄橋を渡ると、狭い車道は大きく左に曲がりながら急斜面をのぼり、こんどは右に急カーヴします。
  この山道は、岩戸山の西南端の尾根の南側斜面を青鬼沢の谷間に沿ってのぼっていく道です。よりによって、この山で一番傾斜のきつい崖にへばりついてのぼる道なのです。つづら折りの急坂を鉄橋からおよそ1.5キロメートルのぼったところに、青鬼集落の駐車場があります。標高差にして120メートルものぼるので、かなりきつい登山といえます。
  クルマだと簡単にのぼれるのですが、対向車とすれ違いできるところが限られているので、カーヴミラーをよく確認して、必要な場合には回避スペースがあるところで対向車を待ちましょう。
  夏には、蝉しぐれが峡谷全体に響きわたっているところです。


▲車のすれ違いが難しいほど狭い道


この先は塩島集落の中心部:八幡社・塩島城跡入り口前で

青鬼に向かう道路:大糸線に沿って姫川左岸を往く

右の崖は姫川の最下段の河岸段丘崖で、段丘上の道は塩島にいたる

中部電力姫川第二ダム・発電所

j姫川を渡る赤い鉄橋

古い吊り橋の支柱橋脚が残されている

対岸の吊橋支柱橋脚の遺構

大糸線第一姫川鉄橋: 手前は古い鉄橋の橋脚遺構

街道からの「ゆるり」の正面の姿

旅籠「丸八壱番館」の裏手の眺め

鉄橋の真下で流れ落ちる滝


鉄橋を渡ると、急斜面の狭い山道が始まる。

山腹に張り付いた道は崖を巻くように進む

青鬼集落の古民家が樹間に見えてきた

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