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長野県北安曇郡白馬村
古い歴史をもつ集落

  青鬼集落から山の峰を隔てて南に1.5キロメートルほど離れたところに野平集落があります。野平は岩戸山と高戸山とのあいだに挟まれた西向きの谷間にあって、集落の東側には物見山と柄山から伸びる峻険な尾根が迫っています。
  物見山と柄山の峰を結ぶ稜線は、白馬村と旧鬼無里村(現長野市)を分ける境界線になっています。野平は姫川の東岸の山あいにあって、古来から鬼無里や戸隠、小川などの山里と一体の文化圏をなしていました。これらの山里の村落は、千数百年も前からより高い山の尾根や谷間に集落を営んでいましたが、鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、姫川東岸の山峡の谷間に降りてきて集落や農耕地を拓いたようです。


▲長い坂道をのぼっていくと、連なる棚田や段々畑の奥に野平集落が見える


▲村の北側の尾根から西を眺めると、彼方に塩島や岩岳スキー場を展望できる

  野平集落は、塩島城跡がある城山の東麓にある水神宮橋を渡って姫川を越え、曲がりくねりながら東進する勾配のきつい山道をのぼっていったところの谷間にあります。
  谷筋はほぼ西向き(わずかに北に寄った方向)に開けています。集落から谷下を見おろすと、彼方に岩岳スキー場、さらにその背後に白馬連峰を展望できます。

  取材に訪れた日は、雨上がりで雲が低いところに残っていて、岩岳スキー場よりも奥の山岳は厚い雲に隠れていました。この集落にも茅葺古民家が残されていて、基本構造を残して屋根を葺き替えたものも加えると、10棟ほどの古民家と小堂があります。日本の農村の美しい原風景を観察することができる貴重な場所です。


山腹にある野平神明宮の参道から村を見わたす

  野平の谷間を集落に向かってのぼる道は3本あります。私は一番南側の道をのぼることにしました。3本の道は村の中央部で縦(南北に)結びついて1本になって、家並みの東端まで急坂が続いていきます。まずこの坂を村落の端まで歩いてみることにしました。
  南から集落に入る場所には小さお堂があります。
  散策の途次、92歳になるという老婆に出会って、いろいろ村のことについてうかがうことがでましきた。その方は、この村で生まれ育ち、結婚して今にいたったといいます。
  老婆によるとこの村は、今から四百数十年ないし五百年前頃にできたのだそうです。その前は、ここよりも奥の山々の尾根や谷あいに集落がいくつもあって、戦国時代の終わりごろに、この地が開拓され、村落となったのだとか。お堂には名前がなく、物心ついたときからただ「お堂」と呼ばれていたようです。
  この谷を降りた姫川の対岸にある塩島新田は、この村よりも100年ほど後になって形成されたそうです。塩島集落は、それよりも古いようです。暴れ川の姫川や松川による水の脅威が、気候変動あるいは治水技術の進歩である程度抑えられるようになったからでしょう。


▲集落の端から深い山林が広がる

▲上ってきた坂道を振り返る

▲村で一番高いところにある古民家

  この坂道をのぼって山林のなかに入ると、鬼無里村日影や戸隠へと通じる道があるという。若い頃には、その道を通って鬼無里方面と行き来があったようです。ただし、この山道は現在通行止めとなっています。
  そのおばあさんは、この朝、坂の上の家に暮らす姉(94歳)に合いにいって茶飲み話をしての帰り道だといいます。お姉さんは跡取り娘で婿を迎えたのだそうですが、なにしろ年上なので体調が心配で毎日会いに行くのだそうです。これから自宅に帰り、支度をしてから畑仕事をするつもりだとか。快活で矍鑠たる物腰です。そして、谷の彼方に見えるのが岩岳スキー場で、その下が塩島と新田だと説明してくれました。


▲東側からの古民家(家の裏手)の眺め

▲こちらが家の正面

▲屋根は東から南にかけて切り上げた造り

▲この道は、村はずれからさらに山奥に続いている

  この集落の奥の尾根伝いの平坦地や谷あいには、1000年以上も前からいくつも集落がありました。村から続く小径は、そういう村々を結んで、鬼無里や小川、戸隠などの方面に連絡していたのです。
  だいたい室町時代頃から現在の白馬村の尾根の中腹や裾に出てきて、農耕地の開拓を進め、村落を建設したという歴史の流れが見えてきました。
  一方、平安時代から鎌倉時代にかけてすでに荘園が形成されていた小谷方面からもしだいに南下して白馬村に農耕地や村落の開拓が進んできました。してみると、この谷の下にある塩島は、北から進んできた開発と東から進んできた開発とが出会う場所だったということになるかもしれません。
  野平や青鬼蕨平の集落は460~500年ほど前に東側の山岳部から来た人びとによって開かれ、その後、塩島村が形成され、戦国後期までには地頭領主の塩島氏が山城を築いていた・・・だから戦国武将の争いに巻き込まれた。しかし、野平など山里までは戦火はおよばなかった、と考えられます。

◆野平の茅葺造りの特徴◆

  野平集落に現在残されている茅葺古民家(主屋)の特徴を見てみましょう。茅葺屋根の東側から南側にかけて――南と西を切り上げたものもある――切り上げて陽の光や風を通しやすくした造りと、屋根の深さが四方一様のものとがあります。
  2つのうち前の方の様式は、大正から昭和にかけて養蚕を営むために屋根を改修したのだろうと考えられます。もう一つの様式は、そのような改修をしないで、古くからの様式を保っているものです。少なくとも主屋では養蚕をしなかった(別棟に蚕室を設けた)ということでしょう。


▲一番北の道路で村の中心部に向かうと・・・


集落への南からの入り口には小さなお堂がある

お堂の脇から家並みを見わたす(見上げる)

この道で3本が合流する。電柱の先で右折すると上り坂が続く。

登り道で老婆に出会って話をうかがった

南に向いた棟入りの風格ある古民家だ

坂道の沿って、棚田を挟んで古民家が並ぶ

土蔵を覆う屋根を支える枠組みが外に出張っている

刈入れが終わった棚田の下の古民家

大雨で損傷した肩葺き屋根がシートで覆われてウイル

村落でただひとつ、川葺きが露出している古民家

一番北側の道がここに出てくる

集落北端の家並み: 背後に尾根が迫っている

百日層の花畑の向こうに広壮な古民家が見える

神明宮参道からの眺め

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