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長野県諏訪郡下諏訪町
 
 
街のさまざまな容貌  


▲武居恵比須神社 承知川の河岸段丘の上にあって、諏訪湖を展望する高台斜面にある


▲神社の境内脇からは諏訪湖を眺望できる

  古くからの下諏訪市街には小さな神社が多い。やはり中世に大祝金刺家の城下町だったために、集住する家門や町衆の信仰を集める施設を数多く造ったからだろうか。
  一方で、諏訪湖の周囲には明治以降、近代日本の工業化を担う精密製造業が発展してきたという歴史もある。それは、古代から街道や有力な神社、温泉などと結びついた都市集落群が高度の文化を育ててきたという背景があってのことかもしれない。

■集落に見られる神々の曼陀羅世界■

◆傾斜地の密集集落と神社、祠◆

  縄文時代の遺跡が残る和田峠の麓に位置しながら諏訪湖の畔にある下諏訪には、およそ1万年の歴史が積み重なった独特の風習や文化が見られます。
  それは、この地方の独特の地形と分かちがたく結びついているようです。




▲本殿の四囲には、諏訪社の摂末社として扱われているので、御柱が立てられている

▲谷底を流れる承知川

  本来の下諏訪の都邑集落は、尾根の裾から中腹の斜面を通る鎌倉街道と旧甲州街道のあいだの斜面に建設されたように見えます。
  諏訪湖の北東岸の断層崖はさらに山岳から流れ下る渓流によって浸食されて、川の流れに沿った段丘や扇状地がつくられました。こうしてできた狭い傾斜地に、家屋が密集した集落が形成されました。
  そしてひときわ高く、湖や集落全体を見おろせるような段丘高台には恵比須神社が建立され、そして集落の脇に一族マキが祀る「氏神」として稲荷社などの祠が設けられてきたようです。


▲滝をなして流れ下る承知川。川岸には萌え始めたフキの群落。


▲集落がある急傾斜地を流れる承知川

◆古い家門と稲荷社の関係◆

  承知川沿いには、吉澤稲荷や宮坂稲荷などの小さな社殿がありますが、これらはこの一帯の名門である吉澤一門、宮坂一門が信仰する氏神のような存在です。
  これらの家門の由緒は古く、鎌倉時代ないし室町時代からこの一帯に定住して、諏訪大社を中心とする統治や開墾・農村形成を担ってきたものと思われます。やがて彼らは江戸期以降には地主層を形成しました。近隣には吉澤姓、宮坂姓の家が軒を連ねています。
  そして、各戸の敷地内・庭には30センチメートルほどの小さな稲荷の祠が祀られています。「屋敷神」と呼ばれる社かもしれません。それらの祠も諏訪大社の支配を受けているため、やはり四囲に御柱が立てられ、6年おきに更新されます。   


▲集落の外れには棚田や段々畑

  中央に見えるのは福音派ルーテル教会の屋根

  してみると、この一帯では、諏訪大社を頂点として辻々にある恵比須社や稲荷社、そして各戸の敷地内にある小さな稲荷祠にいたるまで、神々の階層序列の曼陀羅世界が織りなされているわけです。


武居恵比須神社 鳥居の奥に拝殿が見える

拝殿 この奥に本殿がある


武居恵比須社は段丘崖の上にある


何段も重層する承知川沿いの段丘


瀟洒な和風建築 諏訪大社職舎

風格を漂わせる板塀と門
諏訪大社職舎は、諏訪大社の神官などの職員の福利厚生施設なのか、何か行事を催すための施設なのかについてはわかりません。
しかし、素晴らしい和風建築であることは間違いありません。

小さな祠。近隣の家門一族が祀る稲荷社。


承知川岸の吉澤稲荷。吉澤一門の稲荷社

宮坂稲荷。宮坂一門の稲荷社

各戸の敷地内にある小さな稲荷祠

集落内の小路 彼方に諏訪湖の水面が見える

集落に後背地には山が迫る


▲旧甲州街道 上の写真は西を望む/下の写真は東を望む▼
▲久保海道、本郷、五官などの集落の下には旧甲州街道が通っている。
  海道は諏訪湖東岸を上諏訪方面に向かう。

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