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長野県小県郡
長和町和田
 
 
中世城下町から宿駅へ

  縄文時代には黒曜石が重要な交易手段となっていたことからすれば、和田~依田窪一帯は古代から軍事や政治、経済の要衝だったことは間違いないでしょう。畿内から近江、美濃、木曾を経て東信濃に向かう東山道は奈良時代(8世紀はじめ)にはあったと言われています。
  大和王権の軍事的覇権を支えた軍馬の育成牧場が東信濃(小県~佐久方面)にできたのも、大和王権の東征活動と関連していたのでしょう。
  木曾から佐久へは美ケ原高原と霧ケ峰高原とのあいだにある和田峠辺りを越えるしかなく、それゆえ和田や長窪、依田窪一帯は古くから、東西交通の要衝として発達したはずです。


▲信定寺の裏に迫る小高い山が城山。その尾根の北東の端近くに和田城(大井氏の城砦)があった。


▲画像の左端から中央に張り出した尾根が城山

  記録や史料はありませんが、この地では、中世領主制もいち早く成長したのでしょう。14世紀には大井氏から分かれた家門(和田大井氏)が、和田宿の北西に位置する尾根筋(城山または上ノ山と呼ばれる)に城砦を築いたと言われています。それが和田城です。
  城主の居館は、信定寺の敷地またはその近隣にあったと言われています。
  その城砦の直下、追川に架かる釈迦堂橋から和田下町にかけての地区は、農地開墾も盛んで、城下町集落として栄えていたようです。☞参考絵地図
  ところが、その大井氏は16世紀に武田家によって滅ぼされます。やがて徳川幕府のもとで17世紀はじめ、中仙道が開拓され、その宿駅として、それ以前は郊外場末だった下町から中町にかけて新たな都市集落が建設されました。それが発足当初の和田宿です。☞参考記事

■鍛冶足から高札場跡まで■

◆宿場に隣接する豊かな農村◆

  それでは、国道を渡って鍛冶足地区から高札場跡(上町入り口)辺りまで歩いてみましょう。
  中山道の和田宿が建設されるよりもはるか以前から、街道となった道沿いに農村集落が形成されていたため、鍛冶足にも上町にも桝形はありません。しかし、鍛冶足地区の南端近くに願応寺と社宮司神社への参道を兼ねた古い道があり、この道は街道に再び合流するまでに急坂を登り一度直角に曲がるので、緊急時にはこの道を通行させる計画だったのかもしれません。

  さて、鍛冶足を歩くと、この辺りの集落が、江戸時代には和田宿の旅客商業や物流と結びついて成長したことが窺えます。ここかしこに旧中山道沿いの集落だった様子をとどめていて、民家の構えを見ると、「高度経済成長」の前まではここが豊かな農村だったように見受けられます。


▲出梁(出桁)造りの民家▼

▲アングルを変えて観ると・・・

▲簡略な薬医門がある。道を拡幅する前は、もっと立派な薬医門だったのではなかろうか。

◆懐旧を呼ぶ家並み◆

  街道沿いには、出梁(出桁)造りの家屋がいくつかあります。屋根は今風に瓦に葺き替えてありますが、往時を想起させるに十分な佇まいです。

  住宅敷地の区画は、往時の集落の家並をかなり残しているようです。大出地区は農村集落ですが、家の並びは古典的な街並みに近く、その意味では、旧街道筋ということが、家屋の配置など集落の形状に大きな影響をおよぼしてきたようです。
  街道の道幅は拡幅されてきたので、通りに面した各戸の庭は往時よりも少し窮屈になっているのかもしれませんが、それでも豊かさと余裕を感じさせます。

◆消えゆく景観を惜しむ◆

  とはいえ、沿道には放置され朽ち果てようとしている家屋もいくつかあります。無住になり、廃屋となったのかもしれません。壊れてしまえば再建に途方もない費用がかかります。街道の歴史を物語る文化財として、このままで保存できないものかと嘆息するしかありません【下の写真2枚】。


▲伝統建築と大正モダンが折衷されている造り

▲廃屋だがこのまま維持したい家屋

◆旧街道めぐりの楽しみ◆

  私は、背後に山尾根を背負っているため、緩やかに屈曲したり上下したりしてるこの道形がことのほか気に入っています。尾根丘陵が道と集落に割り込んできたり、逆に谷のような窪みと沢が横切ったりしてているこの姿が。
  力任せに直線化したり、高みを削り凹みを埋め潰す今風の道は、便利で安全ですが、面白味に欠けます。しかも、運転者に速度を落とす謙虚さを失わせます。自然や歴史に対して一歩も二歩も譲る、そういう姿勢で旅をしたいものです。

▲高札場跡の傍らから上町を眺める

鍛冶足交差点から北の眺め

鍛冶足交差点を振り返る

願応寺から鍛冶足集落を見おろす

伝統的な建築様式の鍛冶足地区の集会場

集会場の裏手側

道の脇を清流が流れている

古い造りの漆喰壁の土蔵

豊かさと余裕を印象づける庭と家の構え

玄関庇を支える荷車の台座と車輪
洒落た粋な創意工夫に敬服したい

放置され老朽化しているが、良い味がある

緩やかにのぼりながら曲がる道筋

家並みの裏手には尾根が迫っている

越し方を振り返ると大出山の峰が見える

緩やかなカーヴは道の先への期待を呼ぶ

高札場跡の説明板


鍛冶足の集落・家並みには農村的な風景が入り混じっている。

 
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