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長野県諏訪郡下諏訪町
〜小県郡長和町和田
 
 
和田峠越えの旅

  往時、和田峠には唐沢、西餅茶屋、東餅茶屋、樋橋、落合の5か所に茶屋があって、旅人の休息所になっていました。これに接待下に永代人馬施行所が設けられていました。
  幕府が統治する中山道だということで、そういう旅行補助と公共福祉とを兼ねた施設があったのです。それだけ和田峠越えは厳しく、危険がともなう山中の旅だったということです。
  そんな和田峠越えの道は、開通するまでに、慶長7年(1602年)に中山道と和田宿が開設されてから12年もの長い年月の測量・建設を要したということです。


▲長坂下のカラマツ林を抜ける小径 歩きやすく整備されている。

■のんびり下る和田峠■

  ところで、和田峠の山頂からの旧街道は、和田川が削り出した大きな谷のなかを、少し距離を置きながら川に沿ってゆったり下る道です。
  その昔、この険しい山岳高原のなかに人が比較的容易に歩ける道筋をうまく見つけ出したものだ、と感心します。現代のテクノロジーとは別の、山の地形を知り、歩く道筋を読み取る知恵があったのでしょう。

◆接待下から男女倉口へ◆

  さて、私も周辺を探索し一休みしたので、接待下の清水を一口飲んで、ふたたび出発することにしました。
  広場の北東の端に、国道142号から分かれて山林に入っていく小径の入り口があります。周囲はカラマツ林に覆われています。峠山頂付近よりも森が明るくなった感じです――時間帯のせいかもしれませんが。
  この近辺を赤坂というそうです。
  まもなく、沢の音が聞こえるようになります。街道は谷底の少し上に通っています。ここら辺からの下り坂の小径を念仏坂と呼ぶそうです。
  谷の底を流れている沢は和田川ですが、周囲の小さな沢の水を集めて幅と深さを広げていきます。
  渓流沿いの谷は急ですが、斜面には陽が射し込むので、晩秋には紅葉を見ることができます。


▲観音様脇の街道から和田川の沢を見おろす。

▲まもなく和田川は男女倉川と合流し、依田川となる

  坂はいったん緩くなると、小径の脇に「三十三体観音」という石仏群が集められている場所があります。説明によれば、この山中にあった熊野権現社前に放置され埋まっていた石仏群を掘り出して、ここに安置したのだとか。ただし、ここにあるのは29体で、残り4体は未発見だということです。
  ここから男女倉口までを観音坂と呼ぶそうです。
  男女倉口の下で、新和田トンネルを通る国道142号の新道と合流します。山中の小径はここで終わりです。


接待下の広場(駐車場兼用)

国道から分岐して持ちに入る旧街道

小径は緩やかに下る

山林のなかで蛇行する小径

三十三体観音(石仏は29体で残り4体は未発見)

沢の脇を通る小径

沢沿いの谷の紅葉

男女倉口手前で灌木が多い急坂

男女倉口の街道石碑と説明板

 
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