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長野県小県郡
長和町和田
 
 
宿駅の中心部


▲追川橋の袂(対岸側)から街道と下町を眺める。向かって右側の町屋は河内屋。

  和田宿の中心街は下町と中町だといえます。17世紀はじめの中仙道の発足当初、追川を北側の境界として下町・中町に急ごしらえの宿場町が建設されました。
  下町に当たる地区は、もともと大井和田氏が地頭(小領主)として統治する城下町でした。そして、隣接する中町にも和田家の家臣や和田庄の有力者たちが居を構え、あるいは耕作地を保有していたようです。


▲江戸期の街道の地面は石垣の上端まであったという。
  掘り下げた段差を石垣で補強したのだとか。

  上の写真の手前側は現在の追川橋です。江戸時代の追川橋は、もっと川の水面近くの低い位置(追川の谷底近く)に架けてあったといいます。そして、街道路面は山木屋・大黒屋の辺りでは今よりも1.5メートルほど高い位置にありました。明治期に街道の起伏や高低差をなくすために、掘り下げたのだとか。
  そして、昭和期には追川の谷間を護岸工事で埋めて石垣で補強して、今日の追川橋を架けました。こうして、橋場から下町への交通はきわめて容易になりました。
  ということは、江戸時代には長久保方面から来た旅人は、橋場側で追川橋を渡るために追川の谷坂を――標高差にして3メートル以上も――下って橋を渡り、宿駅の中心街に入るためにふたたび坂を上らなければなりませんでした。☞参考記事

■下町を歩く■

◆街道地形の歴史的変化◆


▲歴史の道資料館の入り口

▲土間には江戸時代の旅行支度・携行品を展示

  明治期から昭和期まで、和田宿下町の街道地形は大きく変化しました。
  追川の谷を埋め、街道を10センチメートルから1.5メートルくらいまで掘り下げて路面の高低差を小さくしたのです。☞参考記事
  明治から現代まで、日本の道路土木は車両の交通をより効率的にするために道路地形を改造してきました。

◆追川橋から下町を歩く◆

  ここまでは中山道を南から北に進んできましたが、下町は追川橋から歩いてみることにしましょう。

  追川間近にある河内屋の地盤は山木屋よりも0.8メートルほど低いようです。川の谷間の傾斜に合わせてあるのでしょう。この河内屋は今では「歴史の道資料館」となっています。
  街道を挟んで河内屋の斜向かいは、木問屋を営んでいた山木屋。木問屋とは、幕府の統制を受けながら、主に江戸に建築用の木材を供給する業務を請け負った有力商人です。


▲黒木屋の中庭

▲黒木屋の庭か眺めたら穀屋の土蔵

  山木屋の隣は、旅籠を営んでいた黒木屋。昭和期まであった遺構を修築しました。町屋の造りには品格があって、庭園も――今は少し荒れていますが――美しいものです。
  この庭から穀屋の土蔵や向かいの町屋(高木や下の穀屋)を眺めてみてはいかがでしょうか。

  さて、ふたたび街道の向かい側に戻ると、河内屋の隣は「下の穀屋」。この町屋も出桁・出格子の造りが残されています。
  そこから端正な庭園を置いた町屋が、その昔、旅籠だった高木です。


▲黒木屋の庭園から向かいを眺める

▲同じく高木の眺め

  高木の町屋の造りも、やはり旅籠を営んでいただけあって、じつに上品で重厚です。
  この辺りになると、街道の掘り下げの深さは30~50センチメートルほどで、石垣の高さも低くなっています。
  高木の南脇には小路があって、それは信定寺の山門に向かう小径となっています。狭い小路の先の寺院とその裏手に城山を控える眺めもまた、和田宿ならではの風景です。

  さて、そこから少し間をおいて国道178脇に重厚な町屋があります。本陣の正面向かいにあります。
  建物の位置から見てこの宿駅でも最上級の家門のももであることがわかります。明和期から幕末・明治初期まで名主肝煎りを務めた脇本陣羽田家の家屋で、現在は「蕎麦や徳田」となっています。

  上小地方の名門、羽田氏は、遠く古代に戦乱や迫害を逃れて中国や朝鮮半島から渡来した秦族の末裔だともいわれています。秦は「はた」とも呼ぶので、信州の羽田族の先祖は秦族と見て間違いなかろうと思います。
  この地方に古代から高い文化の集落が築かれ、東山道の要衝となり、稲作や機織りなどが栄えたのは、千数百年前に大陸の高い農耕・農業土木、手工業の知識や技術を持ち込んだ渡来人たちが住み着いてからではないでしょうか。

  下町で一番の町屋といえば、近年復元された和田宿本陣の主屋だといえます。往時の造りを忠実に再現したそうです。
  本陣については、別項ページを設けて探訪することにします。再現されたものとはいえ、中山道の本陣主屋がこれほどの規模で完全に存在するのはきわめて珍しく貴重なことです。


▲「河内屋(かわちや)」は歴史の道資料館▼



「山木屋」の石垣は高さが目立つ

石垣は高いところで1.5メートルほど

旅籠だった「黒木屋」の町屋


今でもこんな旅館があったら素晴らしい

黒木屋の隣は「穀屋」の白壁土蔵

穀屋の薬医門から山木屋までの家並は圧巻

「下の穀屋」:出桁造りに出格子の町屋の造り

下ノ穀屋越しに街道を眺める

旅籠だった高木(たかき)。出梁・出格子がみごと。

街道上手からの高木の眺め

高木の脇の小路から信定寺の楼門風鐘楼が見える

薬医門が付設された町屋は波田野。ここは、本陣と向き合う脇本陣羽田家の屋敷だった。

波田野は現在「蕎麦や徳田」となっている

和田宿本陣。最近再建されたもの。

【写真右】黒耀石石器資料館/林業資料館

  鉱物としての黒曜石の科学的解説とともに、数多くの黒曜石片を展示し、石器時代からの日本列島の人類による黒曜石の利用形態を説明している博物館。
  この地方での林業の歴史資料館を併設。
  この資料館は、和田宿本陣、かわちや、山木屋・大黒屋、羽田野などと一体の歴史博物館となっていて、おとな300円(こども150円)の料金ですべて見学できる。

 
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