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長野県茅野市宮川
 

  諏訪大社上社前宮は、諏訪信仰発祥の地と見られています。この神社は、現在の諏訪湖の南端から道のりで6キロメートルほど離れています。
  現存する諏訪大社社殿群のうち最も古い祭祀・斎の場としての前宮は、宮前まで諏訪湖の水面がおよんでいた頃に開創されたものと見られます。山裾斜面にある境内の様相は最も質実素朴な印象です。

諏訪大社の原点  


▲紅葉から落葉の季節へと変わる樹林に囲まれた諏訪大社上社前宮の拝殿(「本殿」と呼ばれている)

  前宮は、諏訪大社上社および下社4つのなかで最も古い格式をもつ神社です。境内全部が急な斜面にあるのは、諏訪大社のなかでもここだけです。
  伝説では、大和王権派(の祖先の神々)によって出雲を追われたタケミナカタが諏訪にやって来る前に、この地はすでに長い歴史と独自の信仰をもっていました。モリヤ神信仰(古諏訪信仰)と呼ばれるその文化の痕跡を残しているのが、上社前宮なのだそうです。
  古くからこの地で神事や祭祀を取り仕切っていた守矢氏は、新たな支配者――出雲から逃れて来た神々――に上級の家臣(神官)として仕え、ともに祭政をつかさどるることになったとか。


▲晩秋の陽射しがイチョウの枝葉を突き抜けて拝殿への参道に籠を落とす

  その神話伝説は、弥生時代から古墳時代を経て飛鳥・奈良時代までの信濃の文化と権力構造の歴史を物語っているようです。
  諏訪大神よりも前にこの地を統治していたモリヤ族は、鉄の輪(鉄鐸・鉄器)を携えてこの地に渡来して支配するようになり、先住の民を率いて諏訪湖の周囲で水田や農耕地を開拓し村落を建設したという伝説もあります。もちろん、水田耕作や農村を守るためには、水源確保や治水のために山林を守ることが不可欠だということも、古来から人びとは知っていました。


▲前宮参道から望む八ケ岳(2月末)

■境内と参道を歩く■

  この地方で諏訪大社の神事とつながる「御田植祭り」では、鉄の輪(鉄器)をもつモリヤ神が、枝のような苗木をもつタケミナカタに屈し臣従する物語が演じられます。これは先住の民の山林を敬い活用する文化が水田農耕とともに、諏訪大神への尊崇のもとで回復していく動きを願う物語に見えます。
  この神事でモリヤ神が「悪役」とされているのが少し理不尽にも感じます。タケミナカタもまた征服者なのですから。とはいえ、諏訪湖畔の豊かさは山の豊かさに連動・依存していることを、人びとは諏訪信仰に仮託したということのようです。


▲下の段丘をのぼって振り返る

  諏訪大社上社のご神体は守屋山と森林で、諏訪大社はこれを拝殿から遥拝する形になっていると言われています。ところが、前宮で一番奥にある社殿は「拝殿」ではなく、「本殿」と呼ばれているようです。前宮だけ「本殿」と呼びならわすのには、何か理由があるのかもしれません。


▲十間廊の上段側の姿


▲さらに上の段から二の鳥居を振り返る

  前宮は、本殿に向かって参道沿いに急な尾根斜面をのぼっていくようになっています。二の鳥居の前と後ろに2列の段丘崖があります。この地形は基本的には糸魚川静岡構造線の断層崖ですが、表層は北側も低地を流れる宮川と上川がつくった山裾の河岸段丘だとも見られます。

  一番下の段丘で、二の鳥居に向かって右手には内御玉殿うちのみたまどのがあります。宝物殿で、かつてここには真澄鏡と弥栄鈴などの神宝が収納されていたそうです。
  鳥居の反対側にあるのが十間廊で、これは中世まで諏訪の祭政の儀が執り行われた政庁だったそうです。廊閣の一番上座(右)には領主である大祝が座し、中位の座には家老や奉行など家臣団が並び、南にある高御子屋(神子屋)――今はない舞殿――での舞楽を見たそうです。
⇒前宮の社殿と歴史遺跡の位置案内
⇒前宮付近の地理と地形
  内御玉殿の背後には根元から幹分れした大ケヤキが立っていますが、その下の石段をのぼると本殿まであとわずかです。その先に見える杜のなかに本殿が安置されています。
  本殿の参拝所には最後の石段をのぼった先の参道を歩いて到達します。参拝所の奥に左右に伸びる結構がありますが、これはタケミナカタとヤサカトメの夫婦神――大祝の始祖――の墳墓の上に建てられた社殿です。これが神域の中心ですから「本殿」という呼び名になっているのかもしれません。
  本殿の東脇を流れ下るのは神水「水眼すいが」の流れです。年間を通じて清冽な水――名水と評価されている――が流れ、周囲を潤しています。


▲参拝所の奥に建つ本殿

▲四之柱がはるか北に臨む八ケ岳


参道入り口の大鳥居(一の鳥居):南に向かってのぼる

段丘の上に2つ目の大鳥居(二の鳥居)がある

二の鳥居をくぐると右に内御玉殿: 宝物を収納していた

左側には十間廊: 中世までは祭政庁だった

さらにのぼって十間廊を見わたす

大ケヤキの下の石段をのぼる

本殿に向かう小径: 向こうの樹林のなかに本殿がある

本殿の参拝所

本殿前の景色: 西側に神水の沢が流れる

参拝所屋の本殿は諏訪大神夫婦の墳墓の上に建つ

北側からの本殿の眺め
二之柱と神水水眼(すいが)の清水

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