諏訪大社上社前宮付近の地理と地形

  上掲の絵地図は、諏訪大社上社前宮から安国寺辺りまでの略地図です。
  この絵地図は、前宮(大祝氏の居館神殿)が、西側の火焼山ひとぼしやまの尾根と東側の干沢城跡がある尾根との間に挟まれた小さな尾根丘の裾にあることを示しています。そして、この尾根丘陵は、水眼の流れと樋沢川が形成した扇状地の扇端近くに位置しています。きわめて複合的な地形なのです。
  さらに下の絵地図が示すように、二の鳥居と高道との間には高低差が最大3メールもある断層崖が東西にはしっています。これは糸魚川=静岡構造線の巨大な断層帯の一部で、その西端に位置しています。しかも、宮川の河岸段丘やら古代までの諏訪湖の湖岸段丘地形がこの上に「上乗せ」されていると見られます。
  つまり、前宮付近は日本でもまれな地形で、ジオパークと見なしてもいいでしょう。

前宮高道たかみち沿いの地理と地形

  上掲の絵地図は、一番上の絵地図の前宮高道沿いを拡大したものです。
  この絵地図では、
@高道が大地溝帯(フォッサマグナ)の西端の断層崖の上に開かれた古代からの幹道であること、
A御手祓い道、すなわち、中世まで「酉の祭り」で騎乗した子どもたちの行列が平穏と豊作を願い厄払いをした順路が、前宮境内でその断層崖を挟み込むような形であること
を示すものです。
  一説では、この一帯には弥生時代からモリヤ神への信仰にもとづく文化があったそうです。しかも、そのモリヤ神はさらに古い時代の信仰文化に取って代わって支配的になったのだとも。そういう古い時代の信仰の対象あるいは拠り所として、この一帯の独特の地形があったということでしょう。
  湖水を見わたすふたつの尾根の間に流水によって扇状地形ができましたが、その扇状地の要の位置に緩やかな尾根が張り出していました。そして、中央の緩やかな尾根裾の高台が信仰と統治の拠り所となったのです。ところで、扇状地の末端(扇端)辺りに糸魚川=静岡構造線の断層崖があったことから、崖上の壇(高台)がいっそう際立って神聖な場所と見なされたということなのです。
  まさに段階的に神の居所(高み)に近づいていくという視覚的な効果をもたらす場所なのです。