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長野県木曽郡大桑村
 
  野尻宿本陣跡から東に240メートル離れ、標高差が30メートルほどある高台(愛宕山中腹)に歴史の古い禅刹、法雲山妙覚寺があります。
  中世に創建され、山麓の宿場街を見おろす山寺は、あたかも城砦のような趣を漂わせています。
  写真:駐車場から妙覚寺の堂宇群を眺める。寺の背後の山腹には城砦があった。

 
高台の城砦のような趣


野尻宿を見おろす愛宕山中腹の高台にある晩秋の妙覚寺。寺の背後の尾根峰には城砦があったと伝えられている。

  野尻宿は、寺院や神社と宿場街集落との関係という視点で見ると、妻籠宿や三留野宿ときわめてよく似ています。街集落を見おろす高台に臨済宗妙心寺派の禅刹があって、あたかも街を護る城砦のような構えになっているのです。そして、神仏習合の時代、この寺院は別当寺としてスサノオを祀る牛頭天王社(八坂社)を擁していたのです。
  宿場街の建設にさいして共通の構想があったのでしょうか。室町後期から戦国時代にかけて木曾を統治した木曾氏の影響なのでしょうか。
  妙覚寺境内から倉之坂辺りにかけての尾根高台には、往古、木曾氏の統治の拠点としての城館があって、その背後の尾根には砦の列が築かれていたのではないかと考えられます。しかし、それについての史料は野尻にはありません。とはいえ、三留野や妻籠の史料や言い伝え――小木曽庄の集落と居館・城砦の地理的な配置――から、そう推定できるのです。

■往古は山城の前哨曲輪か■

■史料・文物は焼失、来歴は不明■

  法雲山妙覚寺は臨済宗妙心寺派の古い禅刹ですが、江戸時代の初期に起きた大火で寺の資料・文物がすっかり焼失してしまったため、寺の来歴や由緒を調べる手がかりはありません。
  それから長い期間を経て、1726年(享保11年)に本堂が再建されたそうです。ということは、最も長くて1世紀間もこの寺院は荒廃したままだったということになるのでしょうか。


道脇に石仏群と経典奉納碑が並んでいる


脇の通用門に導く石段

  そういえば、この地のお年寄りから聞いた話では、本町の家門の多くが地元の妙覚寺ではなく須原宿の定勝寺の檀家となっているということです。江戸時代初期に宿駅建設を担った本町の居住者に定勝寺の檀家が多いということは、野尻宿の発足当初は妙覚寺が火災ののち荒廃していた時期だったため、住民の多くが須定勝寺に帰依するしかなかったということを物語っているのかもしれません。

  馬籠から妻籠、三留野を経て野尻まで木曾路の南部――旧小木曽庄――の中山道を辿りながら、臨済宗の禅刹を探索したところ、古代にすでにあった熊野信仰を含む原始的な山岳修験とか天台や真言の密教の拠点が荒廃したのち、これらの古い寺院や堂舎が臨済宗の禅僧たちによって禅宗寺院として復興再建されたものではないかという考えるようになりました。
  平安末期、木曾地方での源氏勢力の台頭にともなう木曾谷各地での領主城館とその城下街の建設が、臨済宗学僧たちによる寺院復興と結びついて、両者の連携が生まれたのではないかと考えられます。苦難に満ちていたであろう開拓を精神的に支援したのだろうと。

  それからおよそ3世紀後、室町後期から戦国時代に藤原系木曾氏が木曾で勢力を拡大したさいにも、木曾氏に臣従した領主たちによる城砦ならびに集落建設でも臨済宗の寺院が協力したものと見られます。野尻の妙覚寺は、そういう来歴を持つ寺院のひとつではないでしょうか。
  徳川幕府による木曾路の中山道と宿駅の建設は、そのような戦国時代以来の集落群と連絡路の建設の動きを受けてのものです。ところが野尻では、17世紀前半に妙覚寺は火災で焼失したため、野尻宿の創成期には須原宿の定勝寺が住民の信仰と生活を支えていた時期があったようです。


本堂前から鐘楼門を振り返る


鐘楼門にに向かう主参道の石段。城砦のような構えに見える。

  そういう事情があるせいか、野尻宿は木曽路では奈良井宿に次いで宿場としての規模が大きな街だったのですが、現存する寺院はわずかに妙覚寺がひとつだけです。妙覚寺自体が規模が大きな寺院であるうえに、須原の定勝寺が町住民のかなりの部分を檀家として引き受けてきたので、それで間に合ったのでしょう。
  また、宿場街の南に須佐男神社があって、江戸時代には別当寺があったかずです。妙覚寺の寺領山林は広大だったので、神仏習合の風習のなかでこの神社も妙覚寺の領地のなかにあって、この寺の管理を受けていたものと見られます。ということで、神社に近接して妙覚寺塔頭支院の堂宇があったはずです。明治維新の廃仏毀釈は、木曾の中山道沿いではとりわけて激しかったので、仏堂の破却はことのほかひどかったと見られます。あるいは、妙覚寺とは別の寺院があったことも考えられます。


上町の祠堂から丘を東にのぼる妙覚寺の参道が始まる▲


駐車場の脇ををのぼる石段参道▲


幅は狭いが、城郭の大手道のような印象の脇参道▲


参道をのぼるにつれて野尻の街並みを見渡せるようになる▲


いかにも禅刹に似つかわしい鐘楼門にのぼっていく主参道の石段▲


商稲門や腰板土塀、堂宇が横に並ぶ方は城郭の構えのようだ▲

玄関は荘重な唐破風で、禅宗らしい風情を見せている▲


庫裏や客殿、居住棟などが連なる▲


堂宇の背後の尾根高台にはの野尻愛宕山城砦の跡がある▲

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