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長野県飯山市瑞穂
北竜湖、南竜池など


▲小菅山の錦繡を映す晩秋の北竜湖

  豪雪地帯である小菅の里は豊富な水に恵まれています。それでも、気候変動(温暖化)とともに、降雪量は漸減し、少しずつ乾燥化が進んでいるような気がします。
  小菅の里の中央部には、千曲川に並行するように南北に断層帯が貫いています。そのため、小菅山の中腹、西に向かって伸びる3本の尾根のあいだには、いくつかの窪地があって、それは尾根を挟んで南北に続いているのだとか。
  そういう窪地に水が溜まって北竜湖やそのほかの沼池が形成されました。とはいえ、現在まで残っているのは北竜湖だけで、そのほかの沼池は消滅してしまいました。


▲南竜池の跡:今は湿地帯と草原

■3つの大池があった■

  室町末期の元隆寺絵図には、小菅の里の北端に北竜池、南端に南竜池、そして中央部に蓮池という3つの大きな池が描かれています。北竜池は、今日では北竜湖と呼ばれています。ほかの2つの池は今はなくなっています。

◆静謐な北竜湖◆

  小菅集落と北竜湖は尾根で隔てられているので、北竜湖まで行くためには、尾根を越えることになります。
  北竜湖はちょっとしたリゾート観光地で、湖畔には温泉施設もあります。桜並木や菜の花畑があって春には――雪解け水を集めて湖の水位も高く――美しい花の名所となります。夏にはボート遊びやキャンプも楽しめます。

▲北竜湖の東岸の様子

▲林道から湖の西岸を眺める

◆集落内の蓮池跡◆

  さて、蓮池は、かつて元隆寺中の院の東側、菩提院と観音堂の下(西側)にある南北に長い平坦な場所にあったようです。北竜湖との間に割り込んでいる尾根の麓から菩提院の真下まで水面が続いていたものでしょう。今は草地や畑地となっています。
  蓮池があった場所の東側には、2段の段丘崖が今でも残るっていて、それぞれ2メートル近い段差は石垣で補強されています。


▲集落を横断する断層崖

◆村はずれの南竜池◆

  小菅集落の南端、尾根の下にあったのが南竜池です。上流から流れ込んだ土砂が堆積してどんどん浅く小さくなった南竜池は、それでも昭和期までは沼地ないし湿原として残っていました。
  ところが現在、尾根の麓は一面の草原となっています。とはいえ、地面は湿っていて、ところどころに湿地が残っていて、歩くことは容易ではなさそうです。

  この草原は、半月形ないしそら豆のような形をしています。現状から、室町から江戸時代までの池の形(地形)を想像すると、最大で南北に差し渡し400メートル、東西に200メートルほどはあったのではないでしょうか。
  してみれば、往時の元隆寺と集落は、仏塔や伽藍・堂宇が水辺に囲まれた風光明媚なところだったのでしょう。今でも、小菅集落には流れ下るせせらぎの水音が絶えません。


▲道の左側がかつての池

▲今では乾燥が進んだ湿地跡


晩秋(11月半ば)の北竜湖

湖東岸の林道

晩秋の錦繡を映す湖面

夏の雨上がりの湖面と小菅山


観音堂下の草原に蓮池があった

現在も残る小さな池

向かいの尾根の下の草原に池があった

現在は低湿地の草原となっている

生い茂る草と低木

草原の東端には断層崖跡が見える

湿原の名残りとして低いところにはガマの群落がある

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