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長野県大町市平
 
  木崎湖の東岸を往く往還は、権現山系とその南側に続く居谷里山の西麓をたどる道です。
  今回はそのうち、木崎湖の南東岸を進み、JR信濃木崎駅の手前まで歩きます。進行方向の右手に湖面を眺めながら歩き、やがて湖岸を離れて農具川沿いに丘の麓をたどります。
  写真:湖西畔の森城跡から居谷里山と山麓湖岸の道を眺める(6月はじめ)

 
木崎湖の南東岸


森城跡の岸辺から木崎湖最南端を見る▲

  木崎湖は大雑把に言うと、獅子唐辛子のような形をしています。中ほどから南がやや東寄りに湾曲し、細長く尖った先端が南東向きになっています。【⇒下掲グーグルマップ参照】
  今回は、稲尾の南端から湖の東の畔の道を南に向かって歩きます。西丸震哉記念館や信濃夏季大学公堂の脇を抜けて、東から湖にせり出した丘の樹林を左手に、湖面を右手に眺めながら、山崎集落の旅館街と八幡神社のあいだを往きます。

  そこから湖の畔を離れ、東側の丘の麓をさらに南に進み、JR信濃木崎駅の北にある三橋堂までをめぐります。


▲木崎湖最南端の湖面は、睡蓮が繁茂して、まるでクロード・モネの絵のよう

▲八幡社へのぼる参道から往還を眺める: 彼方には小熊山越しに鹿島槍ケ岳の北峰が顔をのぞかせる

■湖畔の往還を往く■

■樹陰を往く湖岸の道■


▲ガードレイルのすぐ下に湖畔散策路がある

  今回は、稲尾のお堂を出発して国道148号に出て南に少し歩き、右折してJRの高架線路をくぐり、湖畔沿いの松並木の下を歩くことになります。三橋堂までおよそ2キロメートルほどの道のりです。お堂の名前の由来は、境内が村人から「三橋」と呼ばれる場所にあったかrたで、往古、ここには農具川の3本の主分流が並行していて、それぞれに橋が架かっていたので、三橋と呼ばれていたそうです。
  湖畔の道は、居谷里山の頂から西に張り出した尾根に押されているように湾曲しています。右手に湖面を眺め、湖を吹きわたる風を浴びながら、尾根の森と松並木の日陰を往く、夏でも涼しい道路です。車道と湖との間には、湖畔の散策路があって、そこで散歩や釣り楽しむ人が目立ちます。
  湖面には水遊びやワカサギ釣りの小舟がいくつも浮かんで、美しくも長閑な風景です。
  JRの線路下から始まる湖畔の木陰の道は、800メートルほどの間はせり出している尾根斜面が湖岸となっているため、路傍が湖面に接しています。その先に進むと、尾根下に少しずつ平地が広がっていく地形となります。
  往還は、八幡神社が位置する尾根台地の下を往くのですが、旅館街の辺りで湖面は終わり、そこから南には湖畔平地が広がっています。湖岸は大町市街から3.5キロメートル離れています。

■旅館街と湖■

  さて、八幡神社の下を往く道の西脇には観光客向けの旅館街が200メートルほど続いています。旅館の裏手が湖面です。旅館は昭和前期に建てられた和風の造りのものが多く、脇街道の趣きが漂っています。とはいえ、高齢化でかなり以前に廃業して廃墟然とした建物もあります。
  「道の家」「近江屋」「だるまや」・・・と旅館の看板を眺めながら、南に進みます。この先で道路は、農具川に沿って緩やかに蛇行します。
  ところで、旅館街の裏手(西側)には、狭い散策路を挟んで湖面が迫っています。各旅館は小さな桟橋の船着き場を備えていて、泊り客は小舟で水遊びやワカサギ釣りのために湖に出ていくことができます。もちろん部屋のなかの窓辺で、美しい湖の風景を楽しみながら、涼風を浴びてくつろぐこともできます。


▲湖畔の各旅館専用の船着き場(桟橋)

  私は、往還を西に折れて湖の南岸の草地に向かいました。そこで、岸辺近くに群生する睡蓮を見るためです。7月の終わりごろから8月いっぱい、睡蓮は水面に美しい花を咲かせます。水面に浮かぶ無数の睡蓮の葉と水の穏やかな揺らぎが織りなす景観は、あたかもクロード・モネの絵のようです。
  木崎湖南端の幅の狭い入り江の東西両端から農具川が2筋が流れ出ています。今は川の水路は2本だけですが、その昔は湖畔湿原から何本も流れ出ていたようです。


▲美しい花を咲かせた睡蓮

■農具川と三橋堂■

  この辺りの道路は立体的に錯綜しているので、少し説明しておきましょう。
  国道148号は、木崎湖の東岸を通っていますが、木崎湖の南東岸では、居谷里山から湖側に張り出した幅広の尾根の下をトンネルで突き抜けていますそして、南のトンネル出口の先では、高架バイパスとなっています。湖岸の往還や昔からの道は、その高架の下をくぐる立体交差となっているのです。
  私は高架の国道バイパスを見上げながら、尾根下の往還を歩いて三橋堂に向かいました。

  木崎湖南端の幅の狭い入り江の東西両端から農具川が2筋が流れ出ています。今は川の水路は2本だけですが、その昔は(主な流路地として)3本が流れ出ていたようです。
  そして湖南の山崎地籍には、分流脇の自然堤防の上を往く村道も、流路に沿って3筋あったようです。この3つの道筋は今でも残っていて、車道としても利用されています。取材で私は一番東側の小径を歩きました。
  ところで、今では農具川の西側の水路は、コンクリートの護岸設備によって囲まれる直線的な流路となっていますが、すでに述べたように、その昔は何本もの分流が蛇行してときに交差していました。増水・氾濫のたびごとに流路も分流の本数も変わっていたそうです。
  今では仁科三湖の水は管理されておとなしくなっているので、増水や氾濫は想像できません。しかし、青木湖の水源はダムと発電・灌漑兼用の水路によって、あの広い湖の水位が3~5メートルも上昇するほどの水量が調整されているのです。
  そのため、現在の青木湖の水位は、昭和中期と比べると平均して4メートルほど低くなっています。そうなると、当然、三湖を結ぶ農具川の水量も水勢も往時よりも、かなり小さくなっているということです。

  さて、三橋堂という小さなお堂は、国道148号沿い、「みの屋」という蕎麦店の北隣にあります。このお堂が三橋堂という名称になったのは、境内が村人たちから「三橋」と呼ばれる場所にあったからで、その辺りには農具川の分流が3本並流していてそれぞれに橋が架かっていることから三橋という通称になったのだそうです。


▲湖畔の丘陵から下ってきた国道148号バイパス

▲三橋堂と国道を挟んで西側の集落風景


畔の道からの木崎湖の眺め: 中央正面は森城跡の針葉樹林


山小屋風の造りの西丸震哉記念館

構想で重厚な入母屋造りの信濃木崎夏季大学(信濃公堂)

木崎湖の南東端を往く湖岸道路(南を向いて撮影)

松並木の樹間越しに湖面を望む(北を振り返って撮影)

せり出した居谷里山の尾根を回り込む湖畔の道

左側の尾根切通し上の高台に八幡神社がある。右手は旅館街。

道路の西側には旅館が並んでいる

旅館「道の家」:この裏手(西側)には湖面が迫っている

往還は目の前の尾根を回り込んで南進する

入母屋造り木造三階立ての「だるまや本店」

八幡神社の駐車場から南を眺める

農具川の木崎湖南端からの出口

くねりながら南に流れる農具川:川面には睡蓮が浮かんでいる


国道148号東脇にある三橋堂: 小さな仏堂だ

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