▲大鳥居をくぐるとご神木の杉が立ち、その先に下馬橋。境内に入ると正面奥に拝殿がある。


▲赤井大鳥居の扁額には「下諏訪神社」と記されている


▲簡潔な切妻造りの拝殿: 茅葺造りを昭和期に改修または改築したようだ

▲拝殿前から境内を見わたす

▲改題の北脇を県道が通っている

▲境内南端は山麓で道となっている

▲拝殿は、本殿を覆う蓋殿と連結している: 本殿はみごとな造り

▲本殿の蓋殿の背後からの眺め: 杉樹林が本殿を守っている形だ

▲拝殿の横(北側)からの眺め

◆稲尾の山麓にある下諏訪社◆


境内と山裾の境界を往く小径

  稲尾集落の古老によると、稲尾の下諏訪神社と西海ノ口の上諏訪神社は、現在、同じ神官によって管理されているそうです。とはいえ、もともとは別個の由来をもつ神社ではないか、ということでした。
  西海ノ口は、森城に依った仁科氏の家臣である武士たちが率いた開拓によって開かれたようですが、稲尾は美麻方面から移住した人びとによって開かれたものと見られます。したがって、村の鎮守である神社は、もともとは別系統だったのかもしれません。


本殿を守る蓋殿の背後の様子

板張りになっている拝殿の壁面

  とはいえ、稲尾の湖畔から北西を斜めると、西海ノ口の上諏訪神社の鎮守の杜が見えます。往古、冬になると湖面は凍結し、結氷した湖面に亀裂が走り、あたかも2つの神社を結ぶ神渡みわたりのようになったとも考えられます。
  諏訪湖の厳冬期の神渡りを模倣して、両岸に上と下の一対となる諏訪神社を勧請し祀ったということは、充分に考えられます。
  2つの神社について鳥居脇や境内にある杉樹林を比べてみると、稲尾の方が100年ほど樹齢が若いように見えます。上諏訪社の杉は樹齢300年ほどで、下諏訪社の杉は200年ほどということで、少なくとも現在の境内の神社は、稲尾の方が新しいということになるでしょう。しかし、それは杉だけに目をつけた場合の推定にすぎません。
  千国街道沿いの集落の多くには諏訪社が祀られています。その理由は、塩の道の南の起点が、諏訪に隣接する塩尻であるからです。千国街道の原型となった古道は、諏訪社信仰を伝達する経路となっていたのです。


境内社の小祠は拝殿の北側に祀られている

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