▲集落の北東端、谷間の入り口にある八幡神社の社殿

  東海ノ口の集落の北東には崩沢と呼ばれる谷間があります。その入り口、谷間をのぼっていく小径の脇にあるのが八幡神社です。 この神社にのぼっていく小径が始まる辻の下には氏神社があります。辻の斜向かいには石造りの大黒天が立っています。これらの神々は、古くから往還を往く村人や旅人を見守ってきたのでしょう。


▲石の欄干に囲まれた氏神社の社殿


▲崩沢の谷間にのぼっていく小径

▲草原と樹林に囲まれた社殿

▲狭い境内の周りは耕作放棄された田畑

▲石灯籠の拝具尾は湿地になっている

▲小径から社殿の裏を眺める

  この地形から推して、東海ノ口は権現山系の東側、旧美麻村方面からの人びとによって開かれたのではないかと考えるのです。とはいえ、そうだとしても、その後、湖西岸の集落との交流・融合が進んだので、村としても差異はなくなったはずですが。

◆八幡神社◆


権現山系の崩沢をのぼる小径

  私は八幡神社がある場所がすごく気になっています。村はずれの高台にあるので、ことさら奇妙な立地というわけではありませんが。
  東海ノ口がその麓に位置する権現山系について説明します。
  木崎湖の西側の仁科山地の稜線で最高峰は小熊山(標高1302m)で、東側の山地の最高峰は権現山(標高1222m)です。この2つの山頂の高さの差は、わずか80メートルにすぎません。しかし、湖畔から見上げると、小熊山系は権現山系よりもはるかに高く険しい山容に見えます。
  この見た目の差は、山腹の傾斜の差によるものです。小熊山は、木崎湖面からわずか1キロメートルで470メートルも昇る傾斜ですが、これに対して権現山は湖面から4キロメートルで380メートル上昇します。権現山系は傾斜が緩やかなのです。
  しかも、権現山系は、仁科山地と同様に海底から隆起してきたのですが、こちらはその速度が緩く穏やかだったので、海底に堆積していた粒子の細かい泥岩地層を分厚く乗せたままで山塊を形成したようです。その分、降水(沢などの流涙)による浸食を受けやすかったせいで、穏やかな起伏に富んだ山容になりました。
  したがって、沢の勾配も比較的に緩やかで、谷筋も多く、谷間の窪地のいたるところに沼や湿原(沼沢地)をつくりました。そんな谷間のひとつが、この集落の北東に位置する崩沢で、その谷間の入り口に八幡神社があるのです。


社殿の扉口の様子

社伝の内部: 内陣に本殿が置かれている

▲水田の畔脇の草地に祀られた氏神社の祠

▲脇往還との辻から西に向かう農道

▲祠は南向きで水田と集落の家並みを見守る位置にある

◆往還脇の氏神社◆

  私が北から南に脇往還を歩いていると、農道と直交する辻の南西脇に小さな社殿を見つけました。石製の欄干で囲んであります。
  写真撮影しているところに近所の古老が散策してきて、それが氏神社だと教えてくれました。そして、この辻を東にのぼっていったところに八幡神社がある、とも。


辻の斜向かいには大黒天がある

  氏神社の周りの草地に立って、八幡神社に向かう小径を眺めると、辻野斜向かいに石製の大黒天が安置されています。
  ということは、その小径は、八幡神社への参道を兼ねているようです。参道が始まる辻には、氏神社と大黒天があるということになります。信仰的にはこの辻は村にとって大事な位置にあるということになります、

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