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長野県小諸市
 
 
古い由緒の成就寺  

▲成就寺の総門 重厚な薬医門形式で装飾の木彫が素晴らしい

  中沢川の畔にある寺のなかでも、一番上流にあるのが真言宗の成就寺です。
  15世紀の末に大井氏が鍋蓋城とその城下町を建設し、その後16世紀のはじめに城の鬼門(北東方向)に「城蹴寺」を勧請・建立しました。堂塔伽藍を備えた立派な寺院で、地蔵院、華蔵院、明王院、月光院、円蔵院、太子堂の六坊があったそうです。
  これが地名の起源で、仏道に奉仕する場が6つあったことから、この地を六供と呼ぶようになったと言われています。

■六供を上がり詰めれば成就寺■

◆古い起源の成就寺◆

  古文書によるとこの寺の縁起は古く、829年に弘法大師が東国巡錫のおりに、ここから3キロメートルほど北にある滝原中西原に草庵を結び、「塔の峰」と呼んだ。それを起原にして天国山吉祥院遍照寺が建立されたとか。


▲ほんまち町屋館から滝原中西原方面を展望

  室町期にはその辺に石製の五輪塔婆がさかんにつくられました。今でも145基の五輪塔婆が残され、ほかにも多層塔・多宝塔がいくつかあります。その頃、ここに七堂伽藍をもつ大規模な寺院があったのかもしれません。
  やがて遍照寺は落雷で焼失し、宗務・修行の場はそこからほど近い諸という集落の円命寺に移されたそうです。
  1504年、鍋蓋城主の大井光忠の勧請を受けて、円命寺は現在の地に移転し「城蹴寺じょうじゅじ」として建立されたといいます。


▲空海(弘法大師)の巡錫像

◆広い境内◆

  六供は往時の小諸宿の集落から離れた場所なので、成就寺は小諸宿の寺院としては広大な境内を擁しています。
  その境内は中沢川と松井川に挟まれた狭い尾根の上に位置しています。
  そこは、小諸宿の街全体と城を見渡すことができる一段と高い丘になっています。
  1742年の中沢川の大氾濫では大きな被害を受けました。そのため、水害からの復興にさいしては、中沢川沿いの斜面に石垣を築き上げて、堂宇を再建しました。


▲奥の石段の上に芭蕉の句碑と経塚がある


左手は中沢川で、右手の石垣の上が成就寺の境内。奥の陸橋のの上には国道18号が走る。

中央部が松井川。右手の杜が成就寺の境内。

杉並木の参道には石灯篭が並ぶ

堅固な石垣の上の鐘楼

参道の奥に本堂

本堂

境内の池

裏手の山から本堂・庫裏を見おろす。
ここには芭蕉の句碑や経塚がある。


▲成就寺の堂宇群 両側を谷川に挟まれ、裏手に小高い山が迫る地形、そして本堂の前を石垣と池で囲む形は、あたかも防備の堅い城に見える。

  鍋蓋城と小諸の街を建設した大井氏が、この場所に城就寺(成就寺)を建立した理由は、境内の位置と地理にあるように思える。両側を谷川に挟まれた高地で、ここに立てば小諸宿の街全体と城を見渡すことができる。
  尾根沿いに最短距離で街の中心部と城に攻め込む経路は、この寺によって塞がれている。戦時にここに伏兵を置けば、街道沿いに敵兵が城に近づくことをほぼ完全に阻止できる。
  このような城下町づくりは、徳川幕藩体制のもとで小諸を領した仙石家や松平家などによって引き継がれ完成されていった。

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