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長野県小諸市懐古園
 
 
小諸城跡 懐古園  


▲水の手の展望台から千曲川を展望する
  小諸城址がある高台の下、南西には千曲川が大きく蛇行する。左手の西浦ダムから落ちた水は大きくくねり、流れを北から西に転ずる。

Article in English Picture above : Chikuma-gawa river under the bank-hill of the castle site

River was Natural Moat

The hazrd deffencing on the west side of the castle was Chikuma-gawa river.
The picture beneath shows the hills on which the castle site is lying. The hill looking like a mountain-ridge is the bank on the river-side. At the center of it is the core section of the castle.
The bank top is higher by 30 - 50 meters than river coast. The edge of the bank forms steep.
The mountains behind the bank-hill are (from right-side) Mt. Asama, Mt. Kurofu and Takamineyama. The water-flows eroded the haighland of volcano-ash to make such a landform as the deffencing hazard on which Komoro Castle relied.

■小諸城の西を守る要害は千曲川■

  【写真左】千曲川対岸からの小諸城址の眺め。
  山の尾根のように見えるのは河岸段丘崖で、高低差は30〜50メートルもある。画像の中央部が懐古園で、ここに小諸城の本丸があった。
  樹木に覆われているので、段丘崖は急峻に見えないが、斜度は30°から40°以上ある。奥に聳えるのは、右から浅間山、黒斑山、高峰山。
  千曲川水系は、浅間連峰の火山灰台地をこんなに深く抉り削ったのだ。そして、これが、小諸城の南から西を防御する自然要害なのだ。

■自然地形と小諸城■

Article in English Geographic Circumstance of Castle

A observation platform called Mizunote is at the south-west end of the castle-site from which we would look down the winding flow of Chikumagawa.
From it to the observation platform of Fujimi-dai (from which we can see Mt.Fuji on the finest days) the hill-side is very steep, looking almost cliff falling down to the river.
The cliff was formed by erosion of the river. The ridge of the bank-hill would have been shaping round until the war age, but they would have made even for building castle. The bank-hill across the ravine in front of Mizunote is the precinct of Kashima Shrine. The shrine had been on the hill on the south-side of Minami-maru but was removed because they planned to build a railway and station in Meiji era.
Pictures below : Path going down to rverside(upper) and landform of bank-hill on riverside.

  本丸がある高台の北西の端には「水の手の展望台」があります。ここからは西方に大きく蛇行する千曲川を見おろすことができます。
  この展望台から「富士見展望台」までを結ぶ線の西側が、千曲川河畔に深く切れ落ちる崖になっています。


▲千曲川に向かって下る急斜面

  この崖は千曲川の本流が浸食によって切り削ったもので、河畔と展望台との標高差は40メートル以上にもなるでしょう。
  戦国末期には、本丸がある高台は山のような尾根になっていて、築城のために頂部をほぼ平らに削ったのかもしれません【写真下参照】。


▲右手は懐古園の隣の田切台地。河食崖の頂部は山のように盛り上がっている。本丸の台地も築城前はこうだったのではなかろうか。

◆鹿島神社◆

  水の手の展望台の目の前は、谷を挟んで鹿島神社の境内です。
  鹿島神社は江戸時代まで、三の丸の南側の台地にありましたが、維新後、市街や鉄道の建設のために、今の場所に移設されました。
  今では神社の境内は欝蒼たる樹林に囲まれていますが、周囲は高低差30メートルもある切り立った崖で取り巻かれています。

◆千曲川の大峡谷◆

  小諸城址の周囲近隣をめぐると、山岳や高原に取り巻かれた信州のなかでもひときわ雄大な自然景観に出会うことができます。
  なかでも小諸付近に暴れ川、千曲川が生み出した地形は、まことに印象的です。
  懐古園から千曲川河畔の谷に下りてみましょう。城址の直下には「戻り橋」があります。
  橋を渡った対岸にも、裾を崖で縁どられた山地のような台地があります。これは「牧ノ原台地」と呼ばれます。牧ノ原とは、古代に大和王権に軍馬を供給したことに因んだ地名です。


▲懐古園を背景にした戻り橋

  千曲川は、小諸までは高原台地を切り割って流れる大きな渓流といえます。
  川の勢いは強く、浅間山系の火山灰堆積地層や溶岩台地を侵食して、日本では珍しい大規模な峡谷をつくり出しました。
  戻り橋から千曲川を眺めると、上流側は「高原を下る急流」に見え、下流側はダムによって水の勢いが抑制された「穏やかな水流」の趣です。
  千曲川は小諸城の西側で大きく蛇行するため、巨大な浸食力と堆積力を帯びるので、それを抑えるために西浦ダムが設営されているのです。そして、この付近の川の高低差を利用して発電をおこなっています。

▲渇水時のダム

 
右手の樹間越しに見える石垣が水の手展望台

現在の鹿島神社に向かう酔月橋
北谷、地獄谷、祢津谷を越えて神社まで渡る


鹿島神社の社殿:背後は深い谷になっている

神社の境内は保育園児たちの遊び場
コナラのドングリ拾いに夢中の幼児たち

千曲川がつくった大峡谷に広がる田園
小諸城址は中央部やや左にある

巨大な溶岩山塊さえも千曲川は切り割って断崖をつくり出した。崖の上は牧ノ原高原。

「戻り橋」から上流の景観

戻り橋の下流側の眺望

千曲川沿いの高低差の大きい河岸段丘崖

西浦ダムが湛える豊富な水量

ダムから流れ落ちる水

▲近くの高原から見おろした小諸市街と懐古園の森(中央付近)、その背後には牧ノ原台地(山地)が迫る。この山地と市街外れの森とのあいだを千曲川が蛇行して流れる。

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  • 現存の石垣などと比べてみましょう

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