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長野県小諸市大久保
 
  小諸市の西端、千曲川を見おろす懸崖にある布引山釈尊寺。高低差100メートルを超える断崖地形につくられたこの寺院は、まさに天空の寺院と呼べるでしょう。開創から1300年近くを経た名刹です。
  写真:木製の支柱枠(櫓)で支えられた太子堂。

 
断崖にたつ天空の寺院  


▲晩秋の朝陽を浴びる錦繍の布引渓谷: 中央の断崖の峰の裏側に釈尊寺と観音、太子堂がある


▲観音堂宮殿から眼下に山門(仁王門)、壇上に釈尊寺本堂・庫裏。右は岩をくり抜いた隧道参道

  小諸市の西端、大久保地籍の断崖絶壁にはりつくように堂宇が並ぶ寺院、布引山曝厳院釈尊寺があります。「布引観音」という呼び名で信州の人びとに親しまれています。
  この断崖は御牧原台地の北端を縁取りながら、10キロメートル以上の長さにわたって連続しているのです。断崖は北方の浅間連峰と向き合っていますが、深い渓谷は千曲川が何万年もかけて、浅間連峰山麓と御牧原台地を刻み込んで形成したものです。


▲断ち割られたような岩壁に囲まれた谷間を往く参道

  佐久方面から小諸市に流れ下ってきた千曲川は、自ら削り出した深い谷間を蛇行しながら流れをしだいに西に転じていきます。布引渓谷はこの大きな曲がり角を過ぎたところに位置しています。
  流れが直進に近くなった千曲川は、速度と破壊力を高めたその激流によって衝突した御牧台地の北の端を打ち割って断崖をつくり出しました。不思議なのは、千曲川の流路と渓谷に対してほぼ直角に南向きの裂け目のような深い谷ができたことです。
  そして、千曲川に面する断崖の裏側(南側)に落ち込んだ瓢箪形の大きな穴ができたのです。釈尊寺への参道は、南向きの裂け目谷をのぼり、岩稜の裂け目から回り込んで断崖の南側の穴に向かいます。参詣者たちは、この穴のような深い谷をつづら折りに登って、断崖の頂部近くまでのぼっていくことになります。
  岩壁に囲まれた谷間には強い陽射しがあまり入らないので薄暗く、その分、落葉広葉樹の紅葉・黄葉は遅れます。高原地帯のこの辺りでは10月半ばに紅葉・黄葉の盛りとなりますが、布引観音の参道の谷間では、木の葉はまだ緑のままです。

■断崖を見上げる参道を往く■

  天台宗釈尊寺は御牧原台地の北端の断崖に位置しています。「御牧」という名称がつけられたのは、古代からこの辺りの高原草原では大和王権に納める馬を飼育する官牧(王権直轄の牧場)がいくつもあったからです。大陸から持ち込まれた大型の馬に跨った騎馬兵団は、古代日本列島では圧倒的でまさに無敵の軍事力で、王権の勢力拡張に大いに役立ちました。
  古代大和王権の権力と権威の伝達に不可欠だった馬を生産する信州の馬牧場は、王権にとってきわめて重要なものでした。そのため、峻険きわまりない信濃の山岳高原を横断する東山道(後の中山道や三州街道)を切り開いたのは、主に牧場の管理統制と馬の輸送のためだったのです。その道はまた王権による遠征のための軍路ともなりました。


▲崖下の石段参道

▲手摺りがあるので危険はあまりない

▲朽ち始めた倒木の脇を往く

  信州の高原は造山活動によって海底から隆起してきたので、なかには馬の飼育に適した石灰質を含んだ土壌もあります。ということはカルスト地形になりやすいため、断崖岩稜がつくられやすいということになるでしょう。
  峻険な岩稜と宗教というキイワードでただちに私が連想するのは「密教」と「修験」。密教が日本に本格的に伝来し普及するのは9世紀。遣唐使に随行した空海を含む学僧たちの研究と活躍によるものだとか。布引渓谷の険しい地形に置かれた天台の古い寺院となれば、やはり密教修験に関係があるだろうということになります。
  釈尊寺寺伝によると、開創は724年(神亀元年)で行基によるものだとか。行基は東大寺の大仏建立を指導した高僧で、寺の草創は彼が各地を修行遍歴していた若い頃です。真言と天台の密教が本格的に研鑽されるのは、9世紀になってから。とはいえ、役行者による山岳修験道は7世紀末までに草創されていました。自然信仰と山岳修行がやがて密教と結びつきます。
  ところで、公式の仏教伝来は6世紀半ばだとされていますが、朝鮮半島や中国大陸からの帰化人または亡命者による仏教の局地的な伝達と受容は、それよりもずっと前からありました。ことに信州各地では、迫害を逃れてきた帰化人たちが山間にいくつも隠れ里集落を営んでいたようです。
  信州の峻険な山岳や低山でも断崖など険しい地形には、相当に古くから観音信仰の拠点がつくられてきました。この布引観音(釈尊寺)もまた、そういう歴史を引き継いでいるのかもしれません。

  さてここでは、崖を200メートル以上ものぼる参道の景観写真を仁王門まで掲載してみました。登り口からは、ほぼ西に向かってジグザグのつづら折りの小径を往き、仁王門まで達します。そこから南西向きにこれまたジグザグ小径を登り、石垣で補強された崖の踊り場のような壇上の寺本堂の前で曲がって進行方向を逆(北東)向きにします。




▲仁王門の阿形と吽形

  近隣住民の話では、以前は山頂近くの岩棚に展望台があって、素晴らしい眺望が得られたのが、危険だということでなくなったそうです。


参道の登り口の石段

曲りくなった細い参道を囲む岩壁

崖のような斜面を登る小径

額縁の参道に設けられた落下除けの手摺り柵

美しさと険しさとに感動する

岸壁の窪みの洞に並ぶ石仏(観音像)

崖縁の小径に覆いかぶさる樹林
岩稜上の樹々は黄葉し始めている

せり出した岩端の下を往く参道

釈尊寺仁王門: 背後に岩壁が迫っている

仁王門の軒下から懸崖上の太子堂を見上げる

岸壁に囲まれた仁王門

◆布引山釈尊寺 Googleマップ◆

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