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長野県木曽郡木祖村
 
 
宿場を俯瞰する高台の禅寺  


▲極楽寺の境内:急峻な斜面にあるので境内は狭い。


▲山門の前の小径から藪原宿を見おろす

  藪原の街から極楽寺に詣でるためには、JR鉄道高架をくぐってから南に向かってのぼる急坂の小径を往くことになります。そう、極楽寺は宿場街を見おろす高台に位置しています。
  街から見ると、極楽寺の境内はコンクリートで固められた切通しの崖の上にあります。切通しは明治以降に鉄道建設にともなって造成されたもののようです。江戸時代には、防火高塀の辻の小路からそのまま、もう少し緩やかな山裾の斜面を登って参詣することができたのだとか。今では小路は鉄道線路によって遮られています。
  寺がこの地に移ってきたのは、江戸期貞享年間(1689年)のことで、藪原宿本陣寺島家による土地の寄進を受けてのことだそうです。寺の霊廟にはお六櫛のもとになった女性お六の位牌が納められているのだとか。

■極楽寺の縁起■

◆室町末期の開基◆


▲三門の屋根は元は杮葺きだったらしいが、現在は金属板で覆われている。

  室町末期、この地の領主古畑氏は禅僧茂林を招いて禅寺を開基したのだとか。そのときの寺号は大龍山禅林寺でした。境内は、木曾川西岸の倉籠――現在の木祖小学校の近く――というところにあったそうです。⇒地形絵図
  ところが、堰堤や護岸など、さしたる治水技術がなかった時代、暴れ川の木曾川は頻繁に氾濫し、寺は何度も流失の難に遭遇しました。そのため、対岸の藪原宿上町裏に移設され、そのときに現在の山号「法城山」に改めたそうです。
  この山号は、現在、本堂の正面軒下の扁額として掲げられています。「法城」とは「その地に仏法が堅固に保たれていて、堅城のごとく安定している」という意味です。そこには、河畔の低地から水難のおよばない宿場内の地に移って、寺の基盤が安定するという願いが込められていたのかもしれません。
  しかし、寛文年間(1662年)に宿場の火災で寺の堂宇や文物が焼失してしまい、その2年後に中町裏に移設再建されました。そしてさらに25年後に宿場の本陣寺島家の土地寄進を受けて現在地に移転し、その2年後(元禄年間の1691年)に堂宇が再建されたのだそうです。現存の本堂は、そのときに建立されたもので、1642年に改修されたのだそうです。


▲庫裏側の玄関

◆明治以降のできごと◆

  明治のはじめ(1873年)には境内に藪原学校が置かれました。木曾地域では、明治期に学制が発足した頃、寺院施設の多くが初等教育学校として利用されました。
  その後、明治後半から大正期にかけて、短歌アララギ派の歌人たちが藪原の旅館や湯川酒造に集まって遊山したおりに、極楽寺にも立ち寄って歌会や談論の場としたそうです。
  極楽寺の観音堂には、そのときのアララギ派歌人たちの絵画が残っていて、ことに格天井の絵画は藤田嗣治(レオナール・フジタ)が制作担当したのだとか。


▲大きなヒノキの傍らの鐘楼

◆現在の境内の様子◆

  南北に細長い境内の西寄りには石碑や多くの地蔵像が並んでいます。なかでも持ち上げ台座の上にある子安地蔵は変わっていて、片膝を立てた輪王座姿勢ですが、片手は台座に置かずに両手で乳幼児を抱いています。力強いお爺さんが孫を抱くように、幼児を慈しむ姿が印象的です。
  観音堂の前には「鳥獣之魂」の慰霊碑が立っています。信州各地のいたるところに、人の暮らしに役立った馬の慰霊をおこなう馬頭観音は無数にありますが、鳥獣全体の慰霊鎮魂の碑大変に珍しいものです。ここは山岳地帯なので、益鳥や益獣だけでなく、狩猟でとして捕らえ食用・皮革材に利用した鳥獣すべてを慰霊しているのかもしれません。


▲境内の背後に迫る山林を通る小径

  極楽寺は藪原神社と隣接していて、往時は一体で極楽寺が神社の別当だったのかもしれません。
  神社の神域を抜ける狭い山道は極楽寺の本堂は以後も通り抜けています。その山林の様子からすると、神社と寺はもともと一体不可分のものだったと実感します。


▲鉄道高架をくぐってから寺にのぼる小径


崖の上にある境内。左下の画像は、にぎわい広場から見える極楽寺の本堂の屋根。


街を見おろすように立つ山門


山門をくぐると・・・

本堂の扁額には「法城山」とある

片膝を立てた輪王座姿勢で乳児を抱く子安地蔵


地蔵像が並ぶ一角に覆い屋の石仏


元禄年間に再建され1942年に改修された本堂


こじんまりした鐘楼。背景は三沢山。

端正な観音堂。背後には藪原神社の大鳥居。


お堂の前には鳥獣鎮魂の碑


観音堂脇から本堂を見上げる


山腹にへばりつくように境内の幅は狭い。
画面中央は山門。

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