◆神輿橋と中沢川◆
                    本町通りの中ほどで呉服店と銀行との間の路地を北に向かうと、間もなく中沢川に架かる神輿橋に差しかかります。彼方には三方ケ峰がそびえています。 
                    神輿橋を渡れば田町で、ここからは中沢川の谷間から三方ケ峰に続く丘陵を上ることになります。 
                    
                  ▲神輿橋から欄干越しに中沢川を見おろす 
                  ◆谷の上の実大寺◆
                    坂をのぼり始めるとすぐに2つの石段に出くわします。左(西)側が実大寺の境内にのぼる石段です。 
                    山門をくぐると、重厚な本堂を見上げることになります。 
                    実大寺は日蓮宗の寺で、小諸唱歌には 
                    「鶯唄ふ法華経の寺は實大寺・・・」 
                  と謡われています。 
                    
                  ▲実大寺の庫裏 
                    実大寺は1685年に、藩主石川家の時代に小諸城の鬼門除けとして、本町から400メートルほど南にある赤坂から現在地の田町に移設されたということです。 
                  ◆祇園祭の建速神社◆
                    実大寺の石段の隣に、はるかに高くまでのぼる石段があります。これは建速神社の境内に続きます。 
                    隣の寺とこの神社の境内は、互いにまるで段違いの棚田のような位置関係にあります。建速神社の社での前には、有名なケヤキの老巨木があります。 
                    神木の大ケヤキはまるで社殿と境内を覆い守るように、分厚く葉を繁らせた枝を伸ばしています。 
                    この神社の祭りが世に名高い小諸の「祇園祭」で、毎年7月13日に近い日曜日に開催され、正六角形の神輿が境内から威勢よく参道を下り、街通りに練り出します。 
                    祇園宮を祀るので、八坂神社系の神社だということになります。 
                   
                    六角形の神輿が練り歩く祇園祭の様子は、映画「寅さん」シリーズにも描かれています。この映画が縁で、渥美清さんは小諸に頻繁に訪れるようになったとか。 
                  ◆尊立寺◆
                    もともとの尊立寺は15世紀のはじめ、日蓮宗の日順上人によって開基されたそうです。しかし、戦国末期に争乱で焼失してしまいました。 
                    徳川幕藩体制になった1631年、藩主松平家の保護を受けて、この地にあらためて開基再建され、法華寺の末寺となったとか。ところが、その後身延山久遠寺の末寺に変わったそうです。 
                    現在の姿は、コンパクトな開善門と平屋寄棟造りの本堂が「簡素の美」を印象づけています。 
                  ◆應興寺◆
                    應興寺は浄土真宗の寺院ですが、1662年に赤坂からこの地に移設されたといいます。この年、藩主が青山家から酒井家に交代していますが、そのことと関係があるのでしょうか。 
                    あるいは小諸城の防備のためでしょうか――戦時に備えて、本町通りの背後を守るために。 
                    山門は薬医門風で、本堂もなかなか格調高い造りですが、現代風の建物と隣接してる姿が、何とも不思議な印象です。 
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