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長野県木曽郡南木曽町妻籠
 
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   木曾路奈良井宿
 
 
妻籠の街並み  

中町の様子

【写真上】 中町から下町方面を眺める

Article in English The picture above : From Naka-machi to Shimo-machi, there are so many tourists.

Invited by the sunshine of late autumn, great deal of visitors come to Tsumago. As here is near from the parking place, so crowded. Here are many shops providing foods or souveniers for tourists.
Here is the place which we feel vigorousness most in the town.

  晩秋の陽射しに誘われて、数多くの観光客がやってきた。時間帯にもよるのだろうが、ことに中町は駐車場から近いので、人の数が多い。土産品店や食事処も集まっている。妻籠のなかでも一番活気を感じる場所だ。

木曾路全図(シンプル版絵地図)を見る

■中町から下町かいわい■

Article in English Feature of Naka-machi

In Honjin house they had a office where they managed transport by men and horses through Kaido-road. It was called Toiyaba.
Toiyaba was a management office assigned by Shogunate government. Its officers are nominated by Owari-Tokugawa clan.
Honjin means originally a headquarter camp for warfare, in which the lord commanded the operations with his staffs, in the war-age.
Modeling after that, in Edo period, in the peaceful age, Shogunate government made up Honjin as a quasi-military institute in Kaido-system.
The government ruled the personell-scale and the formation of Sankin-marching of each lord, owing to clan's fiscal scale. Lord's vassel-followers had to arm light, e.g. with swords, lances, guns or so, and some had to ride on horses.
In those days there were about 250 clan-lords in Japan, at least several lords were marching along main Kaido-roads in every month. Such a system contributed to peace-keeping, with great economic effects, in whole society strongly.
Thus Honjin as a staying institution, was special inns for the loads travelling to/from Edo, and for Shogunate officers.

In the center of Naka-machi lies Honjin site. Against it, across the road stands the houses of Waki-Honjin, which are main institutions of the town's meuseum-complex. They display many materials showing us history and daily life of the town.
Waki-honjin took a role of deputy for Honjin.
From here to Shimo-machi is the place most flourishing of the town. Inns, restaurants and shops, the houses of which have kept the traditional shape, are standing side by side. they are accompanied with with beautiful plants and gardens.
Here people's economic income is depend deeply on townscape-keeping activity. Then we enjoy nice sight seeing.

  本陣(陣屋)には問屋場と人馬会所が併設されていました。
  問屋場と人馬会所は、木曾街道の宿場間の輸送・物流を手配する業務の管理事務所で、役職者は幕府の命を受けて尾張藩から任命されていました。
  ここには、宿場の「年寄役」も何人かつめていて、問屋の業務を補佐したり、人馬の手配の現場実務を担っていました。

  本陣とは、その名のとおり、戦国時代の武将たちの前戦作戦本部を模して、街道制度において軍事施設としての位置づけを与えられた幕府指定の旅館です。
  宿泊施設としての本陣は、参覲交代のさいの大名一行とか、公家や幕府公用の旅行者(役人)を泊める宿でした。大名行列や幕府の役人は軽武装をしていて、騎馬もありましたから、本陣には軍馬用の馬やと槍や刀を保管する武器庫の併設が義務づけられていました。

  さて、中町の中央部に位置する本陣と街道を挟んでほぼ向かいに脇本陣があります。南木曽町博物館の中心施設で、歴史資料館が併設されています。
  脇本陣には、本陣で受け入れきれない公用の旅客を泊めるとか、本陣を補佐する役目が与えられていました。
  妻籠では、脇本陣奥谷、林家は、宿駅の旅客運輸とか街道輸送の人馬を手配・管理する問屋の業務も担っていました。

  この辺から下町にかけてが、観光ビジネスから見て「街の中心部」で、旅館や食事処、土産品店が軒を並べています。往時の面影を残す建物群の街並みが続いています。
  街並みの特徴からすると、この街に住んだり仕事をしたりしている人たちの大半が、妻籠宿の観光にかかわっているように見受けられます。
  街並み景観を形成し保つことが、暮らしの生計に直結しているので、景観にはことのほか気を配っている様子がわかります。
  それもあって、建物と隣接して手入れされた端正な庭園や植栽があるので、たいそう美しい風景が楽しめます。

 

本陣(博物館)

本陣は復元されて南木曽町博物館に

脇本陣

脇本陣奥谷。国の重要文化財となっている

脇本陣・歴史資料館

明治12年建替えの家屋。今は歴史資料館。

中町の街並み

脇本陣前から上町方面を眺める

土産品店や食事処が集まっている

いつの時代の建築だろうか? 一階の方が
道側に出ていて、二階には「うだつ」がある。
 
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