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長野県松本市島内~
安曇野市豊科~三郷~
堀金~穂高
 
  安曇野の美しい田園風景が始まったのは、今から約230年前のこと。
  北アルプス山麓にありながら農業用水の欠乏に瀕していた安曇野10か村が組合を結成して安曇野を潤す農業用水を建設したのです。それが拾ケ堰じっかせぎです。
  写真:拾ケ堰河畔の「じてんしゃひろば」。中央の背景は常念岳の秀峰。

 
信州の穀倉を潤す用水

  安曇野は信州でも最大の穀倉地帯です。しかし、それは江戸時代半ばに安曇野の農民たちが厳しい自然環境と格闘して拾ケ堰という灌漑用水を建設してはじめて実現したものです。
  古来、安曇野は膨大な降水量の北アルプス山麓にありながら、砂礫土壌の扇状地であったため、人びとが農地開拓と耕作に用いる農業用水に欠乏していました。


▲豊かな水を湛えて流れる拾ケ堰:三郷~堀金地区。広い水路は舟運にも利用されたという。

  1790年(寛政年間)、安曇野の柏原村、吉野村、上・下堀金村の庄屋たちが灌漑用水路の開削を計画し始めました。彼らはその40年前から安曇野の地形測量や用水路の設計を手がけていたのです。
  各村での測量・開削などを進めながら相互に結集しながら、19世紀はじめには航海と水の神、琴平神宮を勧請し、松本藩への計画嘆願をおこない、用水建設と新田開発を進めました。


▲安曇野の沃野:広大な水田地帯が続く

  本格的な用水路建設の着工は1814年からで、それからおよそ4年をかけて堰が開削されました。1849年には通船航路も開発され、当時、この水路は安曇野の各地を結ぶ運河としても利用され、直接の連結や陸路を介して犀川や穂高川とも連絡し、重要な物流経路となっていました。そのため、堰の幅が広く、つねに豊富な水を湛えるように設計されたのです。

■奈良井川取水口からの旅■

◆取水は奈良井川から◆


▲拾ケ堰土地改良区の本部事務所

  安曇野拾ケ堰の流れを追いかける旅は、その取水口がある奈良井川の水門――松本市島内――から始まります。この地が島内という地籍名であるのは、ここがともに暴れ川である梓川と奈良井川の合流部で、その昔はいくつもの分流が入り組んで中洲をつくっていたためでしょう。
  ところで、拾ケ堰の取水が安曇野南部を流れる梓川ではなく、奈良井川としたのはなぜなのでしょうか。
  その理由は、梓川の水源が主に北アルプスの降水だからで、冬には多いのですが春夏秋の降水量が少なく、水は特に必要な夏場に必要な水量を確保できなかったのに対して、御岳から木曾駒ケ岳のあいだの木曾地域には一年中降水量が多いからです。
  しかし、梓川は安曇野から見て奈良井川よりも手前にあるので、用水路は梓川を立体交差で越えなければなりません。拾ケ堰の水路は梓川の地下をサイフォンのようにくぐる方式で横切っているのです。
  梓川をくぐる地下水道にはつねに満水に近い状態が保たれていて、上流の水圧が衰えることなく下流に伝わるような仕組みが施されているようです。
  その意味では、当時の土木技術の最先端――今日でも通じるほどの――の方法を採用したのです。


▲等高線にほぼ平行に島内を流れる

▲田園地帯を流れる堰

◆安曇野をゆったり流れる◆

  農業用水建設技術の素晴らしさは、そればかりではありません。
  拾ケ堰は、松本市島内から安曇野をひとまず北西に向かい、やがて大きく北に曲がって烏川に注ぎ込みます。その間の水路の奈川はおよそ15キロメートル。ところが、標高差はわずかに5メートルしかありません。
  水路の平均的な勾配は3パーミル、つまり1000分の3ほど、つまり1キロメートル流れるごとにたったの3ミリメートルちょっと、というわけです。
  ということは、等高線とほとんど並行に水路を開削しなければならないわけです。
  当時は原始的な水準器があったようですが、それを駆使しながら知恵と経験をもとに地形を正確に読み取って小路を施した技能と労苦には頭が下がります。


松本市島内の奈良井川可動堰

可動堰のすぐ上流の取水堰水門

ここから拾ケ堰が始まる

取水門近くの琴平神宮

境内に立つ記念碑と工事経過碑

松本市島内を流れる拾ケ堰

梓川に架かるアルプス大橋のタワーが見える

高速道路の下を流れる(南東向き)

堰は安曇野豊科をゆったり流れていく(北西向き)

豊科では用水幅が最大になる

  拾ケ堰は梓川を越えると豊科の田園風景のなかを流れていく。
  左の写真は、安曇野市豊科高家付近の様子。県立こども病院から1キロメートルほど南の地点で、河畔には農村集落の風景が広がる(上流方向)。

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