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長野県安曇野市穂高牧
 
  安曇野市穂高、北アルプス常念岳山頂から真東に延びる尾根の裾に広がる深い森のなかに栗尾山満願寺があります。
  奈良時代に創建された古い寺院で、往古は修験の拠点だったようです。
  写真:満願寺本堂と庫裏。

 
安曇野の山寺  To put your mouse on the words "Summary in English", articles in English come out.


▲川窪沢川の畔の満願寺参道入り口

  栗尾山満願寺は8世紀前半に創建された真言宗の古い寺院で、安曇野の深い山林のなかにあります。 所在地の標高は900メートル近くで、周囲を鬱蒼とした深い森が取り囲んでいます。


▲端正な造りの聖天堂 本堂の脇の壇上にある

  山深い場所なので、まず交通アクセスをご案内しましょう。
  長野自動車道安曇野インターを降りて県道57号に入り、西に向かい、県道25号との交差点を右折して北上。川窪沢川の河畔の道を西に入って山道を上っていくと、「栗尾山つつじ公園」または「満願寺」の案内板があります。その案内にしたがってください。安曇野インターから道のりでおよそ15キロメートル。20~30分ほどで到着するはずです。 駐車場は高台の上にあるお寺の本堂の脇と、その下の参道入り口の横と2つあります。どちらを利用してもいいのですが、境内めぐりをするなら、私としては高台の下の参道入り口から歩き始めて本堂まで登ることをおススメします。

■奈良時代の創建■

◆深い森を往く参道◆

Summary in English Oldest Temple in Deep Mountain-Forest in Azumino

Manganji is a Buddhist temple of Shingon school standing on the mountain-side of Azumino. It is surrounded by the deep forest.
It was originally founded 725 under the direction of Yamato Monarchy (Emperor Shomu), when a very small statue of Buddha——about 2 inches tall—— was found in the nearby pond, owing to the legendary archives of the temple. Thereafter at the beginning of 9th century the temple was restored by Sakanoue Tamuramoro, the grand general of the monarchy-army who was commanding the campaign-projects conquering the eastern areas of Japan Island to spread the monarchy’s authority.

  上窪沢川に沿ってのぼる林道は寺の手前で分岐しますが、どちらからも満願寺に行けます。参道の下に行き着くためには、左の道を行きます。
  さて、杉並木の下に冠木門があって、これが参道の入り口です。周囲は深い森に囲まれています。その先に微妙橋(お経橋)があって、これを渡ると地蔵堂で、その脇から石畳の登り道をつづら折りに登る小径が始まります。


▲林道からの地蔵堂の眺め

▲鬱蒼とした森のなかを登る

◆山中の池で見つかった仏像◆

  さて寺伝によれば、725年に近傍の池から5cmほどの小さな仏像が発見されたことから大和王権の肝煎で堂宇が建立されたのが創建の起源だとされているとか。
  この年の前年には聖武天皇が即位しているので、新天皇(大王)の登壇を権威づけるために全国各地に瑞兆(めでたい出来事)を探し報告すること――中国の王朝・帝国からの伝統で、新帝即位を権威づけるために中央政権は各地に瑞兆の報告を求めた――が求められたはずで、安曇野山裾での仏像発見は重く受け止められたのではないでしょうか。日本に王権の権威を裏打ちする宗教思想(イデオロギー)として仏教が意欲的に取り入れられ、研鑽されていた時代です。
  ことに当時、大和王権は、律令制の普及に努め、安曇野を含む信濃に権威を伝達して王権に服属させようと努力していた頃合いです。
  安曇野に仏教寺院を建立することは、王権の統治を信濃に広めるうえで相当に重要な意味をもったことでしょう。


▲微妙橋を渡る

  この頃の、歴史的事件の年表を示しておくと、
701年 大宝律令の成立
710年 平城京の奠都てんと
713年 養老律令の成立
723年 三世一身の法成立
724年 聖武天皇即位
741年 各地に国分寺を創建する動き
743年 墾田永代私有の勅許
752年 東大寺開基 大仏開眼
というような流れです。
  この後9世紀に空海が真言宗を開くので、満願寺創建の頃には深山での密教修行の拠点となったかもしれません。


深い森を往く道

本堂・庫裏前の駐車場(上の駐車場)
参道入り口の冠木門

この道の先に下の駐車場がある

切妻屋根に覆われた微妙橋
満願寺の記録によると、微妙橋は三途の川を渡る橋だという。橋板の裏には梵字で陀羅尼経文が書かれているので、お経橋とも呼ばれるそうだ。

微妙橋の下を流れる清冽な沢(上窪沢川)
端正な造りの地蔵堂
地蔵堂の脇の石仏群(地蔵菩薩か)

急斜面の山林のなかを往く参道登り口
 
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