本文へスキップ
長野県長野市
篠ノ井東福寺
 
 
 
本殿の主祭神たち  

■鎮守の杜の樹木の種類(2023年10月氏子総代調べ)■


春、境内西隣の桃園から社叢樹林や社務所・社殿を眺める▲

◆鎮守の杜 社叢とは何か◆

  日本の神社には、境内に生い茂る樹木がつくる鎮守の杜がつきものです。それを社叢と呼びます。
  私たちは、神様がお祀りされている場所つまり神域には樹林とか森があるものだというイメージを抱いています。
  それは、日本の神道が山や川や森などの自然環境のなかのあらゆるものに神が宿っていると考える自然信仰・自然崇拝から始まったからだと見られます。
  日本の原風景としての農村の景観は、村落が神社の杜、社叢を中心として家々が集まり集落を形成しているということです。小高い山にのぼって川中島平を見渡すと、村ごとに神社の鎮守の樹林があって、集落としてのまとまりができ上っているのがわかります。
  深い緑のこんもりとした社叢は、集落の中心に位置していたり、家々が集まった集落と水田などの耕作地との境目に置かれていたりします。


▲長野南運動公園からの神社の杜の冬の眺め

◆ご神木とは何か◆

  「ご神木」とは、文字通り木そのものが神である、あるいは神様が宿る木ということですが、樹林や山林全体をさすこともあれば、特定の一本または何本かの樹木をさす場合もあります。
  伊勢神宮や厳島神社、諏訪大社などでは、境内を取り巻く広大な森林とか社殿の背後の山林全体がご神体となっています。
  信州の諏訪大社でも境内の背後にある広大な山岳と森林が神域となっていて、樹木だけなく岩石や草、コケ、沼沢、鳥や獣すべてが神が宿る存在とされています。
  この世のなかのあらゆるものにあまねく神が宿っていると見る思想を汎神論といいます。日本人は汎神論的な自然観というか信仰心をもっているのです。自然環境の保護や生態系との調和を求める現在では、最も進んだものの見方だといえます。






▲大鳥居の東にある御神木の大ケヤキの60年前の姿

 60年ほど前、落雷による火災で幹の内部は焼けて内壁は黒焦げになっていた。焼けた洞に入るためには、焼け残った分厚い樹皮――高さ1メートル余り――をよじのぼるしかなかった。
 その後、この樹皮は崩れ落ちてしまい、今は洞底部がコンクリートで覆われている。
 私の朧気な記憶をもとにすると、大ケヤキはあの頃よりも一回り大きくなって、枝もさらに元気に繁っているように思える。直径は40センチメートルも大きくなった。


▲神社参道の入り口の南側から幟柱、大鳥居、社叢を眺める


▲クヌギの巨樹の下で境内社の祭りが催される。樹影と日影が厳かさを深める。


▲社殿東脇から見た境内東端の様子


▲境内南東側の樹木の様子:鬱蒼とした樹々の陰は薄暗い


▲境内東端の大ケヤキは樹齢300以上と見積もられる

■東福寺神社の社叢の植生■

  神社の境内神域の樹木や草などの植物からなる鎮守の杜を「社叢」と呼びます。
  東福寺神社の境内神域は、南北に長い長方形をしています。東西の幅が約40メートルで、南北の長さが65〜70メートルで、北東の隅が少し斜めに欠けています。境内神域の面積は、およそ2700平方メートル、830坪ほどの広さです。
  叢の樹木の種類と本数を調べたところ、次のような結果になりました。
  ○ケヤキ   10本
  ○スギ     31本
  ○アカマツ   5本
  ○クヌギ    1本
  ○ヒノキ    2本
  ○モミ      1本
  ○エノキ    1本
  ○サカキ    3本

■落雷で焼けた大ケヤキ■

  そのなかでも目立つご神木を紹介しましょう。
  大鳥居の東側に立つ大ケヤキは、60年ほど前に落雷で幹の中心部が焼けてしまいましたが、力強く生き延びてたくさんの枝葉を茂らせています。幹周りは10メートル以上で、樹齢は500〜800年くらいと見積もられます。上田市塩田の名刹、前山寺の参道には樹齢700年くらいのケヤキの巨木がありますが、東福寺神社の大ケヤキの幹周りはそれよりも大きいのです。
  もしかしたらこの巨木は、鎌倉時代の中期ないし室町時代から、この辺りの人びとの生活を眺めてきたのかもしれません。信州のなかでも特筆すべき老巨木です。
  今は根元がコンクリートで補強されていますが、60年前には地面から1メートル以上の高さまで樹皮が残っていて、子どもたちはそれを乗り越えて洞のなかに入って遊びました。
  ほかに樹齢が300年以上と見られるケヤキが少なくとも2本あります。

■1世紀以上生きているクヌギ■

  また、社殿の東側にそびえているクヌギの巨木は、樹高が25メートル近くもあり、樹齢は100〜120年ほどと見られています。
  針葉樹ではアカマツのうち境内南端の三本は樹齢120年以上と推定されます。スギでは樹齢七〇年以上と見られるものが少なくとも4本あります。

◇縄文時代の植生の名残り◇

  縄文時代から鎌倉時代までの信州の盆地や山間部にはケヤキやクヌギ、コナラ、アカマツからなる原生林が広がっていたようです。そういう自然植生のなかで暮らしてきた信州人は、神社を創建するさいに樹勢の良いケヤキやクヌギ、アカマツを保存したり、その子孫を保護育成したり鎮守の杜を守ってきたのです。

■風雪や強い陽射しを防ぐ■

  明治以降、ことに昭和期からは、防風林や建材としてスギを植林するようになったので、神社の境内にもスギを植えて、マツとともに常緑の樹林を育成して、寒い冬にも風雪をやわらげる鎮守の杜を育成してきました。
  深い樹林は、人びとに真夏の暑さをしのぐ木陰を提供し、境内には涼しい風が吹きわたります。

◇農作業の広場や
      子どもたちの遊び場◇


  何よりも鎮守の杜は子どもたちの安全な遊びの場になってきました。60ほど年前には境内は草野球の場になったり、陣取り遊びや鬼ごっこの場になったりしていました。近くの農家では、刈った小麦を乾燥させたり、脱穀作業をしたりしました。最近では近くの保育園の野外体験の場として活用されるようになり、秋には幼児たちがドングリや松ボックリを拾って楽しんでいます。

  前のページに戻る || 次のページに進む |