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長野県大町市
 
 
塩の道を歩く

  社地区の閏田集落と沢を挟んで南に隣接する曽根原集落。集落を歩いてみると、ここは往古、大きな街があったのではないかとという想いに駆られました。中世の城下町だったか、あるいは城がなかったとすると巨大な門前町だったのかもしれません。源華山浄蓮寺は曽根原集落の外れに位置しています。


▲大町市社曽根原集落にある盛蓮寺: 往古には周囲の畑も境内だったのだろう。

▲端正な造りの観音堂 如意輪観音座像が祀られている。

  曽根原と閏田は往古には、ひとつの大きな街を形成したのかもしれません。
  ともあれ、浄蓮寺は今は曽根原の北西の外れに位置しています。この寺院はもともとは別の場所にあって、七堂伽藍を備えた大寺院だったらしいのですが、13世紀中頃に、ここに移設されたそうです。

■浄蓮寺の歴史と現在をさぐる■


▲山門まで続く参道

▲南側から見た観音堂

  浄蓮寺の境内には大町市教育委員会がこの寺の観音堂について説明した立札があります。
  そこにはこう記してあります。もともとは仁科氏の領地の堂平という場所にあったが、やがて閏田東方の山中の山寺というところに移され、さらに鎌倉中期にこの地に移設された。東山時代には七堂伽藍を擁した大きな寺院だった、と。
  曽根原に移された経緯としては、木曾義仲の挙兵に参加したこの地の領主、仁科盛遠が戦乱で斃死した義仲を霊を祀るためにここに移設し、以後、仁科家の祈願寺としたということだそうです。地元の有力領主が移設建立したのですから、移設後も多くの堂塔伽藍を備えていたと考えられます。


▲山門内に置かれた閻魔大王と眷属


▲山門の下から本堂を望む

  曽根原集落ン内の道はどれも狭いので、千国街道の曽根原の辻の東側に駐車場を兼ねた空き地(草地)があるので、そこに駐車して村内を歩いて浄蓮寺まで行くのがおススメです。


▲本堂前から土蔵と山門を眺める


小ぶりの仁王門風でもあり楼門風でもある山門

山門と観音堂を南から眺める

北側から見た観音堂

庫裏・居住棟と本堂

観音堂前から見た本堂

横から見た山門と土蔵

大イチョウが観音堂屋根に影を落とす

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