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長野県塩尻市奈良井
 
奈良井を歩く 細目次
奈良井の歴史
宿駅としての格付けと繁栄
商業と地場産業
街道と都市集落の発達
宿駅制度の余話
 
奈良井の歴史と地理  
奈良井の街並み

奈良井宿の街筋

  中町の様子。たくさんの来訪者でにぎわっている。
  奈良井宿に保存されている街並みは1キロメートル余り。街筋全体の景観がそっくり残っている。
  11月はじめ、晩秋の木曾路の風景だ。紅葉・黄葉が進み、冬が迫っている。

■宿駅としての格付けと繁栄■

  奈良井は、木曾路11宿駅のなかで最も繁栄したという。
天保年間、奈良井宿では、街道に沿って旅籠や茶屋などを合わせて39軒が軒を連ねたという。「奈良井千軒」ともいわれ、中山道全体でも屈指の大宿だったという。

  というのは、奈良井は木曾路の宿駅のなかでも特段に高い格を与えられたからだ。
  地理的条件と歴史によって、奈良井は都市集落としてはひときわ規模が大きかったためだ。
  鳥居峠という地理的な障壁があったおかげで、奈良井は商業都市として成長したのだ。

  幕府は木曾11宿に、1宿について少なくとも25人の歩行役と25疋の伝馬の準備を義務づけた。ところが、奈良井には倍以上の58組の人足と伝馬の用意が義務づけられた。
  それだけの力量がある街として評価されたのだ。
  
  この歩行役や伝馬の手配・用立てを運営管理していたのが問屋(問屋場)で、問屋の宰領のもとで何人かの年寄役が業務を補佐していた。
  奈良井には問屋が2軒あって、ひと月(旧暦)の半分ごとに宰領を交替していた。今でも住宅が残る手塚家が、問屋のひとつ(上問屋)だった。
  幕府役人や諸藩の用向きの取次ぎと人馬手配の窓口、運営管理の現場が、人馬会所だった。

山のなか
その昔、贄川方面からの旅人は山道を下って奈良井宿に到着した。奈良井も山のなかにある。
河畔
奈良井川のほとりに宿場街は生まれた
街並み
奈良井宿の街並み
上問屋 上問屋手塚家の住宅。街道に面した
間口側に人馬会所があったという。
 
木曾路を学び体験する

鳥居峠トレッキング

  • 昔の中山道木曾路の面影を訪ねる峠道のトレッキング
  • 奈良井から藪原までを歩いてみませんか

中山道の絵地図

  • 江戸時代に幕府が定めた主な街道と中山道の絵地図です。

木曾路の絵地図

  • 中山道のなかで木曾路の部分を詳しく説明する絵地図です。
  • 木曾路の宿駅の場所や交通アクセス、近隣の名所などがわかります。

奈良井の街並み絵図

  • 詳しい解説つきの絵地図です。街歩き、街めぐりに役立ちます。
  • 神社や寺院、文化財、主な観光施設などの位置がわかります。

奈良井の町家造りの解説

  • 町家のデザイン、つくりを説明します。
  • 街並み景観をもっと楽しむことができます。
のんびり写真館

街歩き写真館

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