奈良井の町屋造りと建築物の特徴

■町屋の正面の意匠■

  町屋は通常、街道(主要道路)に面した間口が狭く、奥行きが深い構造になっている。そして、普通、道側では一階よりも二階の方が外に張り出している。

◆屋根と二階◆

  切妻型の屋根は、街道に向かって下り傾斜になっている。その屋根の傾斜に沿って屋根面を支えるのが垂木たるき
  今では町屋の屋根のほとんどは金属板などで葺いてあるが、その昔は杉表皮または薄い杉板葺きで、その上に石を載せて重石にし横桟をはって屋根材を固定していた。

  垂木を下から受けて支える太い角材は登柱のぼりばしらと桁で、登柱は垂木と平行で、桁は直交している。
  桁のうち、一階よりも道側に出張っている部分の桁を出桁だしげたという。
  一階よりも道側に出ている部分を含めて二階の床面を支えるのは、出梁だしばりだ。出梁が支える二階の柱は、登柱と出桁の交点を受けている。
  二階の道側には障子戸がしつらえられていて、旅籠の客は障子を開け閉めできる。障子戸の下は腰壁こしかべ腰長押こしなげしで、合わせて20センチメートルほどの高さだ。障子の外には手すりがある。さらにその外側には格子が取りつけてある。
  畳が敷かれているのは、一階の床面と同じところまでで、道側に出たところは二階縁にかいえんといわれ、板張りになっている。
  往時の旅の宿泊客は、ここに荷物をまとめて置いたかもしれない。
  二階の両側には袖壁そでかべがある。

◆一階と小屋根◆

  一階では、土台となる角材のうえに通柱とおしばしらが立てられている。二階の通り側の構造を支えるのが胴差どうざしで、縦に分厚い角材でできている。
  出入り口は、2本の通柱に大板戸おおいたどをはめ込み、そこにくぐり戸がしつらえられている。
  間口のほかの部分は、普通、しとみで戸締りするようになっている。
  蔀が2列以上になっている場合、列のあいだに方立ほうだてという仕切りの支柱を立てるが、それは取りはずしができる。
  蔀は上下2段で、その中間に障子戸などをはさんで、かまちの上に合計3枚をはめ込む。蔀を閉めたままだと内部がかなり暗いので、開店時に取りはずすことができる。
  まず中段の障子戸を取りはずし、次に一番下の蔀戸を、両端の溝に沿って上に持ち上げてはずす。一番上の蔀戸は、上にはね上げて軒下の金具で吊って支える。
  一階と二階のあいだには小屋根という庇が出ていて、これは二階の柱から伸びた吊り金具で吊り上げて支える。

◆現在の造り◆

  現在では、蔀やくぐり戸を設置してある家屋は少ない。かけはずしとか営繕管理がたいへんに煩瑣だからだろう。
  一階も二階も、木製たアルミサッシュ製のガラス戸の外側に格子枠や格子戸にして、街並み景観に調和させている場合が多い。
  もちろん、文化財としてそのまま保存したり、店舗のデザインとして巧みに活用しているところもある。

町屋造りの正面(棟面)側の仕組み

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中村邸の正面。この側面を「棟」という。
典型的な町屋造り。一階は大板戸にくぐり戸と蔀、二階は格子になっている。小屋根は吊り金具で吊り上げられている。
二階の両端には袖壁がある。
屋根の先端には鼻隠板はなかくしいたが付けられ、垂木を隠している。

中村邸

街道と交差する小路に面した妻面。
深い奥行きがわかる。

この家では、小路側の二階出窓と一階の格子戸の上にも、雨よけの庇がつけられている。
小路側が、荷物の搬入とか財貨の保管に使われたのかもしれない。

妻面(深い奥行き)

往時の屋根の造り。
奈良井駅前の蕎麦店。
杉表皮葺きで、横桟と重石で屋根材を固定している様子が再現されている。

屋根の葺き方

一般的には、右図の左側面が正面で、街道に面している。そして、右側面の妻面は街道と直角で、小路側に面している場合もある。
往時、資産価値と課税額は道側の間口の幅に比例していた。角地は一段と評価額が大きかった。

町家造りのイメージ
 

   

 

■町屋の妻面■

  普通の町屋では、妻面は街道に対して直角になっている。
  街道と直交する路地に立つと、町屋の妻面の全体を見ることができる。深い奥行きの家の造りがよくわかる。
  奥行きは、間口の大きさの3倍ないし5倍もある。このようにして、街場で商売や生活に必要な空間を確保する造りになっているのだ。

  ところが、街道から数メートル距離をとって家屋を建てて、妻面を街道正面に向けている家屋(榮元)もある。
  戦前の建築で、かつては医院だったという。罹病した人びとが受診に訪れたときに、少しでも明るく開放的な気持ちになってもらうため、家屋と街道とのあいだに樹木を植えて明るい雰囲気の庭園を設けたのではないかと考えられる。
  なんだか、くつろぎを感じる。今では、同じような町屋の列のなかに植栽の緑と空間をもたらし、街並みに潤いを与える演出効果があって好ましい。

妻面が街道に正対している榮元の家屋。
板塀と前庭の緑(樹木)が街並みに独特の雰囲気と安らぎを与えている。
屋根は意匠を整え、雨よけの庇を設けるために、入母屋造りとなっている。





手塚家の家屋は、現在、国の重要文化財として公開されている。

栄元

手塚家住宅

■坪庭の間取り■

  有力な商家や本陣には、坪庭があった。
  たとえば夏に部屋の仕切りや障子を開けると、家中どこからでも坪庭が見える。普段、勝手や居間、中座敷からこの植栽を見ると、ちょっとした気分転換ができる。
  間取りから見ると、坪庭は全体の中央部で左右どちらかに寄っている。
  建築構造としては、母屋の屋根の片隅を短くして途切れたところに地面から露出した空間をとって、路地と植栽の場をつくる。この路地(坪庭)を取り囲むように棟続きで部屋を配置し、母屋とは別の屋根でおおう。
  手塚邸を例にとると、坪庭を縁側や渡り廊下などが取り囲んでいる。
  奥座敷や上段の間など賓客をもてなす部屋からは、もっと広い中庭や裏庭を眺めることができる。だが、普段の生活空間から坪庭を眺めるのは、極上の贅沢ではないだろうか。

  島崎藤村の『夜明け前』では、主人公青山半蔵が熟慮中の息抜きとして坪庭を眺める場面が描かれていて、印象深い。

町屋造りにおける坪庭の間取り。手塚邸をモデルとした。
障子や襖を開放すれば、家中どこからでも坪庭を眺めることができた。

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右の写真は手塚家の坪庭。およそ1坪ほどの広さで、周囲を手すりのような枠と濡れ縁で囲まれている。

主屋の屋根は、坪庭の部分が途切れていて、陽射しや雨が射し込むようになっている。
坪庭の周囲のうち主屋の屋根がない二方は、別棟の屋根によって取り囲まれる。
家屋の設計思想の独創性は、みごとというほかない。

町家の間取り

坪庭

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