今回は長坂をのぼり、さらに瓜生坂をのぼりながら、中山道の道筋と遺構を探索します。急坂なので、瓜生坂をのぼったところで、一休みし、そこから一里塚跡に向かって150メートルほど歩きます。
  長坂から瓜生坂までの山道は、道のりが短いので、これまでの中山道の峠越えに比べるとやや楽です。なので、一回で歩き切りましょう。道のりは900メートルもないので、道草しながらゆっくり歩いても30分もかかりません。


◆長坂から瓜生坂へと中山道をたどる◆



瓜生坂ののぼり道: 100メートルほど続く小径で、山中だが安全なところ

▲国道166号の擁壁の下を往く中山道長坂: 谷間を切通した細道だ


▲中山道と国道との合流点


▲瓜生坂ののぼり口の案内板。ここまでは舗装してある。


▲ここから山林の落ち葉が堆積してフカフカの路面となる


▲この土手盛り土は江戸時代からあるらしい


▲地元の人たちの努力で旧街道の草が刈られていて歩きやすい


▲クヌギやコナラなどの枝が張り出して緑のトンネルになっている


▲馬頭観音は2体あって、ひとつは寝ている


▲急斜面の上に石塔が見える。これが峠の頂部だ。


▲あの石塔までのぼると、道は水平になる


▲瓜生峠の最高地点に向かう最後の急坂


▲右の石碑は瓜生坂の碑、その左側には石仏。左端は「念仏百万遍塔 普門品一万巻」と刻まれている。


▲百万遍念仏塔を詳しく見ると・・・


▲念仏碑越しに、急斜面の下、瓜生坂がある谷間の窪地を眺める
 瓜生峠の茶屋はこの窪地にあったとも考えられる

  長坂石仏群から瓜生峠にのぼっていく長坂は、県道166号の擁壁の下を往く道です。右手に国道を見上げてのぼる急坂ですが、200メートル先で、国道と合流します。国道は曲がりくねって、瓜生峠を越えていく舗装道路です。
  しかし、旧中山道は、カーヴを曲がると国道と分岐して最短距離で坂をのぼっていきます。これが瓜生坂です。


長坂をのぼる小径は国道166号と合流する

瓜生峠にのぼっていく中山道

  長坂と瓜生坂の急勾配の部分は、雨などによる土砂の流下を防ぐために石畳になっていたかもしれません。そういう部分は今、コンクリートやアスファルトの舗装となっているようです。
  とはいえ、私は山林の落ち葉が堆積したふかふかの道を歩くのが好きです。瓜生峠はのぼり口は舗装してありますが、その先は山林のなかを往く道で、落ち葉の土や草の地面を踏みしめて歩くことになります。
  ここからは、クヌギやコナラ、ケヤキなどの樹木の枝や葉が街道に覆いかぶさって、トンネルのように見えます。山道の東側は、かつては畑作地だったようで、樹々は伐採された草地となっています。
  街道の道筋は山斜面を開削して切り開き、掘り出した土砂は急坂を均したり、凹んだ部分を盛り上げて土手をつくるために用いられ、歩行をできるだけ容易にしようとしたようです。建設も保全修復も手間がかかったでしょう。つまり、人びとの努力や労苦で維持されてきたのです。

  さて、瓜生坂の中ほどを過ぎると、西側の路傍に石仏が見えてきます。路面よりも60センチメートルほど高い樹林の縁に石仏が1体立ててあります。近づいて眺めてみると、石仏は馬頭観音像で、2体並んでいるのですが、1体は倒れたままになっています。普通、同種の仏像であれば、石仏は経年劣化すると、新しい石仏をつくって取り替えられます。しかし、これは、取り替えらえずに、寝かせたままになっています。


街道脇に石仏が立っている

石仏の前から来し方を振り返る

  このような旧街道の石仏、野仏は、近隣の集落の住民たちが、自らの費用で石工に注文して彫ってもらって、街道や集落のしかるべき道端に奉納するのだそうです。そういう風習は1970年頃までは保たれていたようです。家ごとに代々、石仏を奉納安置する場所が決まっていたのだとか。
  村人や旅人の健康と安全、家の繁栄などを願う素朴な信仰心から、近隣住民が石仏を守ってきたのです。資産に応じて、豊かな家は観音などが浮き彫りになった精巧なつくりの石物を奉納し、そうでない家は文字だけを刻んだ石仏を奉納しました。
  石仏を過ぎると、先の急斜面の上に瓜生坂の終点となる石碑が見えてきました。峠の頂部にのぼる急斜面の道は、今は舗装が施されています。降水で流れやすく崩れやすいのは、昔も今も同じです。往時は石畳となっていたはずです。
  瓜生坂をのぼり切ったところに石碑・石仏・石塔(3基)が並んでいます。石碑は「中山道瓜生坂の碑」で、石仏は水瓶と擬宝珠を持っているようなので、観音菩薩のようですが、詳しくはわかりません。石塔は、念仏百万遍の奉納を祈念するもののようです。
  ここからは、道は水平に近くなっては歩きやすい舗装道路です。


急坂の上に並ぶ石碑や石仏。手前が百万遍念仏塔。

  実際に念仏を唱えたというよりも、阿弥陀経を含む経典を筆写したものを壺に入れてこの近くに埋めて奉納したことを証する石塔だと見られます。この塔を詳しく見ると、小さな石仏が左右2つ彫り込んであるようです。向かって右の石仏については、浮彫なのか、それとも、手に乗るほど小さな石仏を火の窪みに嵌入してあるのか、判別不能です。思ったよりも手がかけられた造りです。
  ここから100メートルほど進むと瓜生峠の最高地点にいたります。その前後の道は尾根を切通して開削したもので、切通しの手前の崖下にやや広くなった草地(笹叢)があります。往時あったという小屋掛けの茶屋は、この草地にあったのでしょうか。
  ここからしばらく進んで、切通しの出出口の右手に一里塚跡があります。ここから先は、次回の旅日記に回します。


崖下に平らなところがある

この先の一里塚をめざして歩くことにした

この先の小径の右手に一里塚がある

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