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長野県岡谷市今井
 
 
横河川までの道

  昭和期の岡谷市街の形成とともに地籍名は変わりました。ここでは、旧中山道沿いに横河川までを今井集落と見なして歩くことにします。今井家茶屋本陣からだいたい横河川までが街道沿いで繁栄した街並みだったと見られます。 江戸時代中期頃には今井村は中山道の旅客交通や物流のなかでは「間の宿」のような位置づけになっていたようです。


▲今井集落の中ほどから塩尻峠方向を振り返る。諏訪湖畔に向かって下る旧中山道。

  岡谷市の今井地区は中山道沿いの集落が集まったところなので、街並みを見ただけでは、この街が生い立ってきた農業との結びつき(臍帯)が見えてこない不思議なところです。幕末までの稲作中心の農村からいきなり都市的な集落が形成されたような印象です。


▲大橋の上から横河川の下流方向を眺める。川は諏訪湖に注ぎ込む。

  というよりも、すでに江戸時代に街道沿いの物流や商業に対応して、今井には相当の商業の集積があったのではないでしょうか。岡谷は明治時代以降、蚕糸業が著しく発達した街ですから、製糸工場に原料としての繭を供給する養蚕に適合した建築様式が古民家に残っているのではないかと思って、街並みを観察したのですが、そういう造りの家は今は見当たりません。
  江戸時代からここには、稲作農業の繁栄を土台とした街道沿いの商業や物流に見合った都市的な集落が形成され、商業集積に応じて人びとが商家(サーヴィス業)での働き手として集まって住民共同体ができたのではないか、そういう印象なのです。 本棟造りの古民家は旧街道沿いに十数棟残されていて、また大正~昭和前期の商家風の重厚な主屋・店舗や土蔵もいくつか残されているのですが、稲作や養蚕に適応した造りの建物は見当たらないのです。古い伝統を備えた商家や豪農の家屋は、その経営や資産保持ができたために残り、そのほか農家の建物はすっかり建て替えられてしまったのでしょうか。

■豊かな湖畔の宿場街■


大正から昭和前期の造りの古民家

  岡谷は、私が予想していたよりもはるかに明治以降の都市化と近代化が進んだ街なのかもしれません。あるいは、昭和中期の高度経済成長によって集落群と街並みの変貌が大きかったのでしょうか。
  しかし他方で、幕末から明治、大正を経て昭和前期までの古い造りの家屋もちらほら残っているので、幕末までの集落の遺構や面影がすっかり消えてしまったわけでもなさそうです。
  そんな疑問を抱きながら、私は旧中山道に沿って今井集落を――番所跡から横河川まで――歩いてみました。


旧街道沿いの雪景色


漬物屋の店舗は街道側妻入の本棟造り古民家

  現在にそういう街並みの歴史に関するイメイジを残しているのは、今井が「間の宿」だったことが理由かもしれません。間の宿というのは、旧街道制度において幕府が宿駅として指定した集落ではなく、宿場街と宿場街の間にある集落が貨客輸送や物流の中継拠点として自然成長的に発展成長して、ある程度の商業や人口の集積が進んだところです。
  輸送料金を除けば幕府や各藩による規制や統制がないので、決まり事だらけで窮屈な正規の宿駅に比べると、経済的には比較的に自由に成長し、商業集積を達成できたのかもしれません。
  そんなことを考えると、昭和中期まで残っていた街並み風景がどんなだったか見てみたいとい願望がつのります。


雪が積もるとこんなに景観が変わる


おそらく往時は商家の店舗を兼ねた主屋だったか

  さて、私の街並み観察の印象を記すと、街道に面して妻面を向けている本棟造りの古民家は、江戸時代または明治前期から続く商家だったのではないかと見られます。旧街道沿いに1軒だけ今でも営業している漬物店(マルモ岡谷)は、本棟造りの店舗です。漬物屋という和風の伝統産業だから、現在でも命脈を保っているのでしょう。
  昭和中期まで商家であったと見られる総二階造りの広壮な主屋は、もしかすると養蚕用の総二階造りから店舗建築へと発展したのかもしれません。養蚕のためには開口部を大きくして風通しを良くする必要がありますが、本棟造りはこれに向いていません。

  旧中山道と交差する何本かの道路は昔の村道で、各交差点(四つ辻)は集落の中心部だったようです。四つ辻の周りには豪農または商家だったと見られる広壮な主屋や土蔵などの古民家が集まっています。
  おそらく昭和後期まで、旧街道や主な道路の両側の家並みの背後には水田を中心とする農耕地が広がっていたのでしょう。そして、1970年代の終わり頃から、商工業が発達した岡谷市街中心部の職場に通勤する人びとの住宅地が田園地帯に取って代わってきたのでしょう。
  街道から少し入った住宅地の近くには今でも耕作地が残っていて、また道筋も非常に不規則です。農道がそのまま住宅街の道路の置き換わったことがわかります。


大橋から横河川上流を眺める


旧中山道を今井の消防分団基地から東に歩き始める▲

広壮な商家風の主屋と土蔵。建築は昭和前期か。▲

旧街道は横河川に向かって緩やかに下っている▲

これも重厚な土蔵造りの商家の店舗古民家▲
総二階造りの広壮な建物は、養蚕用の農民家屋から商業店舗に発展したのかもしれない。

旧街道の彼方に見える尾根は諏訪大社下社秋宮の背後の丘▲

本棟造りと茅葺造りの古民家が並ぶ一角▲

小さな茅葺古民家は今は無住になっている▲

この屋敷も豪農または商家の主屋と土蔵だっただろう▲

広壮な主屋や土蔵が並ぶ。繁栄した街区だったのだろう。▲

ここは農耕地だったのか、空き地の回りに古民家が集中して残っている▲

横河河畔の神社跡: 石碑・石塔だけが残っている▲

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