善光寺街道青柳宿の絵地図

■狭い谷間に建設された街道と宿場街■

  上掲の絵地図は、旧青柳宿の入り口、桜清水の脇に建てられた案内板に描かれているものです。

  青柳の集落は、幅がせいぜい250メートルくらいの青柳沢川の谷間に建設されました。沢の谷間の窪地を回り込むように善光寺街道が通っていて、谷の北側にある狭い岩尾根を切通して麻績川の左岸に出る道筋です。
  絵地図に描かれたとおり、この集落の山裾、街道沿いの尾根際には清水や井戸がいくつも並んでいます。ここは、尾根に取り巻かれた青柳沢川水系の扇状地で、集落の端の段丘崖から伏流水が湧き出ているということです。
  そういう地形からして、急斜面の扇状地ではあるものの、用水設備をつくって水利を管理できれば相当の面積の水田や畑作地を開拓できる地帯だったということです。
この集落の南側の尾根を越えると、より広大な谷間の扇状地がいくつもありますが、青柳氏はこれらを開拓し続けて、最後に青柳の地を開拓することになったようです。急斜面を流れ下る用水路を建設するために高い土木技術が必要だったからでしょうか。また、室町後期から武将領主の間の勢力争いが熾烈になってきたので、防衛しやすい青柳を統治の拠点とすることになったのかもしれません。