取出の保福寺川東岸に南北に伸びる舌状台地は、山裾の高台丘陵を開拓した水田地帯です。この台地は北に尾根を延ばす山の裾に連なっていて、尾根道の登り口になるかみ神社が位置しています。
  この神社は里宮で、背後の山頂に奥宮があるということですが、今は奥宮はないようです。より有力な神社に合祀されたのでしょうか。


◆舌状台地の水田地帯を見守る雷神◆


国道143号脇に目立つほどに立派な神楽殿がある



▲小ぶりな鳥居をくぐると参道が尾根をのぼっていく


▲尾根裾の壇上に社殿と社務所が連結した建物がある


▲拝殿の正面の様子


▲伝統的な造りを保っていると見られる神楽殿


▲境内の中心は野芝の草原となっていて美しい


▲社殿前の参道から鳥居を振り返ってみる


国道に面して参道入り口がある

  会田から穴沢川の谷間を遡上するように国道143号をクルマで南に走っているとき、道沿い(南脇)に立派な神楽殿を見つけました。次の機会に尋ねてみると、雷(なるかみ)神社の境内でした。
  国道に面した参道入り口に小ぶりな鳥居が立っていて、急傾斜の参道の奥に社殿が置かれています。参道は尾根筋を山頂方面にのぼる登山道ともなっているようですが、登山道はすっかり荒れ果ててしまっています。
  登山道はかつては尾根の上方の奥社に連絡していたそうですが、今は奥社に参詣する人はいないようです。山頂には錦織部の神社の奥社があるそうなので、おそらく雷神社の奥社はそれに合祀されてしまった――独自の社号は失われた――と見られます。
  取出の舌状台地は、保福寺川と穴沢川に嵩まれた尾根の北端にある細長い丘陵で、そこには広大な水田地帯が続いています。
  あの神楽殿はほぼ南向きで、尾根裾の高台壇上にある社殿を見上げるような位置関係になっています。屋根はかつては茅葺の入母屋造りだったようですが、今はトタン葺になっています。

  さて、長野県神社庁のサイトの情報では、この雷神社の祭神はタケミカヅチとなっていますが、ほかの多くの地方では雷神社の祭神は、火雷神(ホノイカヅチノミコト)で、雷閃・イナヅマの神だということです。
  日本では古来、雷雨やイナヅマは米などの農産物の豊作を招く自然現象だとして、怖れられるとともに歓迎されてきました。大気中での高圧放電は気体窒素を固定して地上に降らせるので、地中の窒素肥料が増えて植物の成長を促すともいわれています。
  人びとは、稲光を怖れ落雷を畏敬し、落雷事故に遭わないように祈りながらも、豊作をもたらす自然現象を歓迎し、イナヅマの神を深く崇敬し神社として祀ってきたようです。


神楽殿は南向きで社殿と向かい合う位置

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