横町は福島宿の北端の街区です。幕末から明治初期の町割りから判断すると、街道に面した家並みを除くと、農村的な集落だったようです。農村の一部が街道に面したところを、間口が狭く奥行きが深い短冊形の町割りを施して、宿場集落として機能していたものと見られます。
  それでも、松代道の物流は急速に発達して、福島宿は急速に都市的な集落へと変貌していったようです。とはいえ、農村的な起源と臍帯を保ち続けていました。


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千曲川堤防から眺める横町区の集落北端の風景。背景は左から井上山、綿内の太郎山と妙徳山、その右手が奇妙山。

一番手前が堤防道路でその下が旧街道の遺構に建設された道路。奥に向かって横町の小路が東西に延びていく。


▲やや鋭角に曲がる横町の鉤の手道。街道はここから北に向かう。


▲幕末まで、街道はガードレールから緩やかに右折し河川敷に向かっていた


▲祠型の庚申塔: 今は街道標柱となっている


▲馬頭観音脇を往く小径が街道の遺構


▲馬にまたがる三面八臂の馬頭観世音


▲現在の堤防内の河川敷: 渡し場は画面の中央辺りにあった

◆旧街道脇の景観◆

  県道347号は、明治時代の街道法にもとづいて、北国間道松代往還を引き継いで制定建設された新街道です。旧街道の遺構は、その道路の東側を往く細道です。
  旧街道の道筋は、現在、馬頭観音がある辺りから斜め西に向かい、河川敷の畑作地(果樹園)を進んで千曲川河畔までいたりました。千曲川の流路も河川敷の地形も変わったうえに、河川敷の耕地整理や農道建設ですっかり風景わってしまい、往古の姿を想像する手がかりはありません。


馬頭観音の横からの姿

街道の説明石盤

  旧街道の遺構脇にはきわめて珍しい形状の馬頭観音像が置かれています。この観音様は、馬にまたがっている姿なのです。石垣の上に台石を置き、その上に観音像を配してあります。
  正面からの相貌を浮き彫りにした観音像なのですが、顔は3つ腕は8本判別できます。これで、十一面千手を表徴したのでしょう。像の台石は、道標になっています。彫ってある文字は、「右 小布施/中野道 左 北国街道/布野渡船/善光寺道」です。
  観音像の設置場所が移されてないとすると、ここで道は二股に分岐し、左は北国街道で布野村の渡し船乗り場を経て長沼宿に向かい、善光寺街道に連絡する道に連絡し、右は小布施や中野にいたる谷街道脇往還(の前身)に連絡していたということです。
  馬頭観音よりも南側の県道西傍らにも石祠が祀られています。これは、福島に特有の祠型の庚申塔だと見られます。そして、これもまた道標となっています。ということは、県道またはその前身の道の建設にさいして、この庚申塔は道の西端まで移動されたのでしょう。

  撮影と取材のときは、河川敷の桃の花の盛りが過ぎて、若葉が萌え始めた頃合いでした。往時は、街道がこの河川敷を斜めに横切って、千曲川の分流と主流の渡し場まで達していたのでしょう。

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