福島中町の東に広がる田園地帯には果樹園や水田が広がっています。この辺りには、東側の山並みから、若穂や米子、井上方面を通って流れ下る河川や沢が数多く流れ下ってきています。福島は、それらの河川が千曲川に合流する手前の低湿地でした。室町時代の後期になると、山沿い山麓の高台から人びとがこの辺りに降りてきて、農耕地や集落を開き始めたようです。幕末から明治時代を経て昭和期には、河川と用水路を整備し、湿地の水を用水路で抜いて、水田や畑を開墾したのです。


◆中町の東側の田園地帯を歩く◆



果樹園や水田が広がる福島の東側: 背景は井上山

▲耕作されなくなった畑も増えてきた


▲農道沿いに続くリンゴ畑


▲この農道の左(東)側にその昔、郷五郎池があったという


▲果樹がゆったり植えられたリンゴ畑


▲高齢化で果樹から菜園に変わっていく畑作地


▲権五郎川は農業用水路となっている

  福島集落の東側は肥沃で緑豊かな田園地帯です。上町から中町、横町にかけての東側一帯は、昔、いくつもの小河川が流れていたため、石や砂礫が堆積した土壌になっているため、水田は少なく大半が果樹園となっています。
  リンゴやブドウ、梨、桃などの栽培がおこなわれています。住民の高齢化が進んできているので、この美しい田園風景はいつまで続くのか心配です。
  中町の福島公会堂から集落内の道を東に100メートルほど進んだ畑作地に、その昔、郷五郎池という池があったそうです。公会堂の案内板によると、元禄14年(1703年)の福島宿の絵地図に記録されているのだとか。
  南北に細長く300メートルほどの池だったということです。


右手の道沿い辺りに郷五郎池があったらしい

果樹園には起伏がある。この辺りは浅い窪地。

  昭和前期にはこの一帯の耕地整理や農業用水路の整備がおこなわれて、大きな起伏はなくなりました。また、湿地の水は用水路に落とされた干拓され、池や沼、低湿地も消えました。
  かつては、井上山の山麓から幾筋も小河川が流れ下っていて、小御日台は湿地帯・沼沢地だったようです。
  公会堂の説明板によると、井上山の山麓から八幡川が流れていて、郷五郎池の水源となっていたそうです。井上山の北麓の水は井上村を経て、南麓の水は綿内温湯方面からここにいたったようです。いったん池に滞留した水は、そこから下流部に流れ下って百々川に注いでいたのでしょう。
  八幡川は、幕末までは福島宿の宿場用水として街道の中ほどを南北に流れて百々川に合流していたようです。今は、八幡川はなくなり、農業用水路になって、これまた用水路の権五郎に合流しています。


郷五郎池の南端と思しき辺り

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