国分寺付近化河岸段丘

このイメージ画は、南から北を望んで、上田市国分付近の千曲川と河岸段丘を描いたもの。
河の右側(東側)は扇状地が続いて、やがて丘陵となり、湯の丸高原や菅平などの山岳に達する。
千曲川は、扇状地を侵食して、3〜4段くらいの段丘を形成してきた。川と接しているのは河川敷=河床である。
創建期(天平)の頃の国分寺は、川に近い段丘にあった。
鎌倉期以降に再建された国分寺(現存)は、1段上の段丘にある。

この絵図で一番上の段丘には、水田や畑作地が広がっている。この丘陵地帯は、烏帽子岳や湯の丸高原から続く尾根につながっている。信濃国分寺は、後背地に肥沃な穀倉地帯をもっていたことがわかる。
対岸(西側)の盆地は、これまた肥沃な耕地をもつ丸子や塩田平、別所に続いている。

少し下流域にある上田城は、河岸段丘の崖を防御策(自然要害)として利用している。