エッセイが長くなった場合に、エッセイの部分だけを別ページにします。

ファイルbPの最初に戻る

オフィス・タウンウォーク
のほかのサイト










この記事の目次


おススメ品   エッセイ

この世界のすべてのことはメッセージ

 私が人生や仕事で迷いにぶつかったときに何度も続けて聞いた曲が収録されています。「瞳を閉じて」「生まれた街で」「ルージュの伝言」…など。
 なかでも「やさしさに包まれたなら」は、私が《哲学=認識論》の立場からすごく共鳴した曲です。哲学の専門の話になりますが、私はヘーゲリアンなのです。
 私の勝手な思い込みなのでしょうが…この曲の歌詞は、この世のできごとや歴史について「できるだけ全体を知ろう」という立場から認識論しようとする方法論を、ものすごく端的にかつ美しく描いているように思えるのです。

すべてのことはメッセージ

 もちろん、「やさしさに包まれたなら」の曲そのものが大好きです。 そして、この曲とともに、この曲がエンディングテーマ曲に使われたアニメ映画『魔女の宅急便』も大いに称賛します。

 この曲をつくった人は、ものの見方、感じ方に天才的なセンスを備えているのだと思います。
 さて、この曲の歌詞にこういうフレーズがあります。

「カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ」

「雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ」

 このなかで「目にうつるすべてのことは メッセージ」という言葉にとりわけて共感するのです。
自分にあてたメッセージならば、受け取って吟味しなければいか ませんね。

 美しいものや素晴らしいものに感動して素直な心になったときに、目に入るすべてのもの、この世の中のあらゆることが「メッセージとしての価値」を 持つのだ、という意味に私は受け取りました。
 「メッセージとしての価値を持つ」ということは、ありのままに受け入れて観察し、受け入れ、意味を考えなさい、学びなさい、と言っているのだと思 うのです。

汎神論

 この世の中のすべてのことは、認識するだけの価値があるものだ。この世のすべてのものに神(真理あるいは宇宙の摂理)は宿っている。
というふうに理 解しました。
 これを「汎神論」といいます。神=真理は、この世のすべてのものにあまねく宿っているという立場です。
で、ここから難しい哲学の話になります。

ヘーゲルの見方・考え方

 「ヘーゲリアン」というのは、ものの考え方(哲学的な)立場としてヘーゲル主義者あるいはヘーゲルの方法論を高く評価し、尊重する立場や潮流を意 味します。
 で、私が考えるヘーゲルの方法論とは、こういうものです。
ものごとはすべて、できるだけ全体的な不脈のなかにおいて分析し考察しようというのです。
とはいえ、人間の認識は経験をつうじて発達し、深まり、広がっていくものです。

ヨーロッパの哲学史

 だから、いきなり「全体」を認識できるはずはありません。 はじめのうちは。大して意味はないと考えていた事柄が、経験と理解を広げるにつれて、重要な要素であることがわかっていくことだってあります。
 では、どうすればいいのでしょうか。
 こういう悩みを、ヨーロッパ人たちは中世晩期から近代(14世紀から19世紀)にかけて哲学の方法論や科学論に持ち込んで長い論争を繰り返してきまし た。
 ローマ教会の神学が、この世の中の真理認識の尺度にして土台=基礎となっていた中世の認識方法の狭っ苦しさが批判にさらされ、啓蒙思想が発達しま した。
 認識や思考におけるあらゆる権威をそのザから引きずりおろして、徹底的に批判を加え、できる限り細部にわたって検討し、組み換えていきました。
 しかし、フランス革命の前後になると、哲学や神学が細分化された個別の諸科学になってしまったことへの反省と批判が生まれてきました。認識が断片 化してしまったというわけです。
 「神の権威」を打倒したのはいいのですが、多数の個別の認識、知識の断片を集約して総括=統合することが必要になったのです。

純粋理性=直観の時代

 そうなると、細かな検討や批判などでは、かえって真理認識を妨げることがあるので、こまごました研究や分析よりも、真理の本質や全体(の核心)を まず直観的に把握するべきだというわけです。
 こういう立場を、「直観」とか「直接的な観照」と呼びました。
超越的なイメージを大事にしようということです。「直感」ではありません。
 人間の精神には、そういう能力が備わっているのだから、というわけです。
 この能力や方法のことを「純粋理性」と呼びました。
 ところが、個別的で具体的な検討や分析をするよりも「純粋理性による直観」を優先させるということは、先入観や偏見にとらわれることになるのでは ないか。そういう批判が起きました。
 また、そもそも、人間の言葉による思考とか認識の能力や方法はどういう仕組みになっているのか、という疑問が 哲学のメインテーマになっていきました。

ドイツのイデアリズム論争

 これが、18世紀末から19世紀半ばにかけてのドイツのイデアリズム論争のテーマとなります。
 「イデアリズム」というと「観念論」と訳されますが、「理想主義」とか「理想論」というふうにも訳すことができます。
 私は、「人間の精神」を非常に重要なものとして扱う立場というふうに理解します。
 人間の意識や精神の外部に存在するもの、これを物質(マテリアル)と呼びます。
 しかし、人間が認識できるのは、物質そのものではなく、精神や意識の内側に取り込まれて把握されたもの、言い換えれば、精神や意識という写し鏡に 映された物質の像=イメージです。
 そこで、精神や意識の外部に存在する(はずの)物事と、精神や意識の内部に映しとられ描き出され、組み立てられた認識とを照合しなければならな いということになります。

カントの方法

 人間の精神や意識の外部に存在する「物自体」と人間の認識とは、まるきり別個のものである。だから、われわれは「意識され認識された物」を分析し たり批判できるだけだ。
 映し鏡には独特のフィルターや屈折の仕組みが備わっているのだ。 精神の外部にある存在の真理や法則をそれ自体として認識することは、ありえない。
 人間の精神のなかには「形式」とか「外観」「内容」「本質」「原因」「結果」「体系」などというような、相互に関連づけられるような認識道具や方法が先験的な 仕組みとして備わっている。
 そういう手法や方法にしたがって人間は思考し認識するにすぎないのだ。
というわけです。
 ここには価値観や政治的立場によるフィルターや屈折も含まれています。
 こういう見方を最も鋭い形・構図で提示したのがカントでした。
 19世紀後半以降に発達していくマルクシズムは、「観念=イデオロギー」と「物質」とを鋭く対比しますので、この立場の系譜に位置づけられるでしょう。

ヘーゲルの方法

 これに対して、ヘーゲルは疑問と批判をぶつけました。
では、なぜ、どのように人間の精神や意識のなかに外部の存在が精神や意識の内部に写しとられ、描かれていくのか、と。
 ヘーゲルによれば、精神や認識とは歴史的な存在です。
 宇宙の始まりから物質が成長し有機物や生物を生み出し、やがて人類が出現し、その頭脳の機能として精神や意識が生まれ、外界の物質や存在が意識され、認識されていく過程=歴史なのです。この歴史的過程はどうなっているのか。
 また、この過程の仕組み=構造はどうなっているのか、と問い直すのです。
 で、この歴史=過程は、体系的な構造をつくり上げていくものだと想定しています。
 そして、人間の精神もまた外界の存在と同様に変化し発展(展開)するものなのだから、物自体を人間が認識できるとかできないとかあらかじめ断定しないで、外界の物質世界と精神との関係、そして人間の精神と認識の変化発展の歴史過程を振り返って総括してみるしかないでしょう、というわけです 。
 その結果、認識は総体的な体系をなすはずだ、というのです。
 ただし、その体系=全体は、つくり上げられては解体され、ふたたびつくり上げられるのです。

ディアレクティーク(対論法)

 その方法として、ヘーゲルは「弁証法」(ディアレクティーク:私は「対論法」と訳します)という独特の方法論を提起しました。
はじめのうちの個別で断片的な認識を吟味・検討し、その一面性や限界を指摘し、それよりも広く深い認識を対置させながら、より包括的な認識に統合していきます。

 つまり、1つの認識にそれを批判し乗り越えるはずの別の認識を対決(対論)させ、はじめの認識を分析・批判し、あとから出てきたより包括的な方法のうちに組み込み再構成して、より大きな体系にするのです。
 こうして組み立てられた認識に対して、ふたたび、それを批判するより包括的な認識を対置させ、吟味し、より包括的な立場の内部に取り込み統合=再構成していくのです。
1つの体系の叙述のなかに、積み重ねるように、対話=対論つまり論争とその解決を持ち込んでいくわけです。

 こうして、人間の認識はより総体的(全体的)な体系に組み立てられていくのです。この過程は無限進行です。
 この方法には、人間の認識は高まり、進歩するのだという理想論(イデアリズム)が内包されています。

 ただし、私は人類の認識能力に深い懐疑を抱いています。人類は、人間一般としてではなく、固有の特殊な価値観や政治的立場や利害を抱きながら、互 いにさまざまな集団や団体、企業とか国家などに分かれて競い争い合うからです。
 そのことが、カントとは別の意味で映し鏡のフィルターにひどい歪みを与えるからです。

ページトップへ

ほかのおススメ
富田勲
イーハトーブ交響曲
ダイアナ・クラール
クリスマス曲集
 
天使にラブソングを!
クリスマス曲集
 
ガーデニングを学ぶ