駒形砦跡を探る

  下の鳥観図と縄張図の出典は、宮坂武男『縄張図・断面図・鳥観図で見る 信濃の山城と館』第1巻(2012年刊)です。
  宮坂氏が指摘するように、駒形神社の南川を流れ下る濁川の下流――北西側に700メートル離れた場所――には、大井氏の初期の館と砦の跡があるので、ここは大井氏の城砦群の一環だったと見られます。
  私見では、下塚原の集落とこの砦は一体化した都市集落で、低湿地だった塩名田に開拓を進めるための準備拠点だったのではないかと考えます。ここは大井氏に軍略上の兵站拠点というよりも、集落に付随す段丘崖地形を利用したる施設で、塩名田方面の開拓開墾を見届ける物見台だったのではないかということです。
  そういう理由で、城砦としては狭すぎる高台でも構わなかったのでしょう。大がかりな防御設備を構築したり、武器や兵員をここに配備したりする必要はなかったのです。櫓あるいは楼台と小屋程度の建物があったかもしれません。