望月橋の上を鹿曲川の左岸から右岸に歩いてみてください。この橋は県道166号が川を越えるために架けられたものです。橋の上から見ると、右手に切り立った右岸の岩壁が迫ってきます。
  その岩壁には篆書で「蟠龍窟」という文字列が刻んであります。その文字の下の岩窟に嵌めこまれた小さな弁天堂があります。すごい場所に弁天さんが祀られています!。訪ねてみましょう。


◆岩窟の弁天堂◆



鹿曲川岸壁の奥行きが小さな洞窟に嵌め込まれたような弁天堂

▲岩壁に篆書で「蟠龍窟」と刻まれている


▲岩壁に弁天堂にお詣りするための細い桟(かけはし)が架けてある


▲岩窟に張り付いたようなお堂の下を渓流が流れている


▲お堂の内陣も、岩に張り付いた懸桟の上


▲弁才天が浮き彫りにされた神像が舟のような台座に載っている


▲お堂内陣から対岸と渓流を眺める

  鹿曲川の岸壁に穿たれた洞穴は、望月地方では神聖なものとして蟠龍窟と呼ばれています。蟠龍とはとぐろを巻いて地にうずくまった龍を意味します。天に昇って龍神となる前の龍で、臥竜とも呼ばれます。この洞穴に弁才天が祀られています。琵琶湖の竹生島にある弁才天が勧請元です。


岩に穿った祭壇に赤い扉が施されている

高所恐怖症の人は足がすくむだろう

  弁才天を勧請したのは、信永院を開山した禅師、道厳だと伝えられています。室町後期の永正年間(1504~1521年)のことだとか。
  信永院の前身の寺院は、古くはこの蟠龍窟の対岸にあったのだとか。おそらく真言密教の修験道場となっていた大応院と関連した寺院群のひとつだと思われます。してみると、古くから弁才天もここに祀られていたのかもしれません。
  鎌倉時代から戦国時代まで、古代に創建されたものの荒廃した真言や天台の密教寺院を禅宗の僧たちが復興して禅宗の寺院とする運動が盛んに展開されていました。禅僧、道厳が荒廃した寺院を再興するのにともなって、竹生島から弁才天を勧請し直して祀ったということも考えられます。
  弁天堂岩窟の上の岩壁には「蟠龍窟」の文字が篆書で刻まれていますが、これは望月宿本陣の当主、大森九衛門吉桓によるものだとか。

  ところで、弁才天は、仏教において「天界(天部)」に位置づけられる守護神ですが、もともとはヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教思想に取り込まれたさいの呼び名だそうです。
  古代に中国を経て日本にも伝わり、神仏習合によって神道にも取り込まれ、あれこれと変容してきました。手に書物あるいは数珠、縄、ヴィーナ(琵琶に似た楽器)、水瓶などを持っている、叡智や学問、音楽の神とされています。
  また、これまたもともとヒンドゥーの女神であった吉祥天とも混同あるいは合体され、その要素も取り込んで、幸運や致富をもたらす女神ともされているようです。こうして、弁才天にはさらに致富の御利益も加えられて、才の字を財に変えて弁財天と表記されることもあります。


岩棚に張り付いた参道は劣化していて、2021年11月現在、通行禁止になっている

◆弁才天参道脇にある西宮神社◆



狭い岩棚の参道脇が神域となっている西宮神社



▲蟠龍窟弁才天の参道の脇の草地に下馬橋がある。境内神域である。


▲石段をのぼると西宮神社の鳥居と社殿祠がある


▲見事な造りの流造の社殿が西宮神社だ


▲西宮神社の上の岩棚の上にさらに別の社殿が見える

  望月橋を東岸に渡り切ると、橋の南側の袂に岩壁にへばりついた弁天堂への参道があり、その手前左脇に踊り場のような小さな草地があります。そこには石製の小さな太鼓橋があって、これは下馬橋となっています。下馬橋の先には石製の鳥居も立っています。つまり、この一角は独自の境内神域で、蟠龍窟弁天堂とは別物ということです。


聖徳皇太子碑の横に細い参道石段がある

  鳥居の扁額には「西宮神社」と刻まれています。ここは西宮神社なのです。一般にえびす様が祀られている神社です。
  赤い塗装を施された端正な社殿が土台の上に安置されています。しかし、この神社がここに祀られた由緒来歴はわかりません。
  なぜ、こんな狭苦しくて危険な場所に西宮神社が祀られていて、しかもその奥の蟠龍窟には弁才天が祀られているでしょうか。答えは、ここは修験者の修行と祈りの場だったから、ということになるでしょう。たとえば戸隠山の絶壁の下の狭苦しい岩棚や岩窟には、さまざまな神や仏の石像や祠が祀られていて、修行の場となっていました。危険な場所ほど、修験の場としては霊験あらたかだと考えられてきたのです。
  こんな岩壁に神社がいくつも集まっているのは、明治時代の神社合祀令とはまず関係ないと思われます。

  鳥居の隣の岩壁には聖徳皇太子碑――文字の揮毫は比田井天来――が立っていて、その脇に窮屈そうに岩壁をよじ登る狭く険しい石段があります。石段が刻まれた空間の断面は狭く、半畳ほどもありません。蟠龍窟の上に城郭の高石垣のような岩棚がそそり立っています。崖っぷちの西宮神社の上にさらにもうひとつ神社があるようです。豊川稲荷社です。次回の旅でそこを訪れます、


社殿は小さな木製の祠だが、独自の重厚な鳥居がある西宮神社

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