三留野宿の南端の桝形

  上掲の絵図は、三留野宿南端の桝形を想像復元して描いたものです。
  ここは、高低差3メートルを超える段丘崖の地形になっています。桝形はこの地形を利用してつくられています。段丘の壁面は堆積岩でできているようです。
  重機がない当時の土木技術では、硬い岩盤を大がかりに改造することはできません。人の手で可能な地形の改造や開削によって、崖斜面をジグザクにのぼる小径をつくるのがせいぜいだったでしょう。崖の上と下の街道を「段丘崖を利用した桝形」で連結したのです。

  急斜面を人がのぼりやすいように路面には石畳や石組の階段を施したものと見られます。これは、馬籠峠、鳥居峠、和田峠など山岳地帯の中山道の急斜面の小径で現在まで保存されている遺構を参考にして復元しました。
  石畳または石段の小径は、折り返す場所(踊り場)に石垣を施して、大勢が通り抜けるのを不可能にし、道や地形の改造を防いだものと見られます。徳川幕府は、宿駅を野戦本陣または城砦に準じて設計させました。つまり、敵軍の進軍や侵攻を妨げ防ぐ設備として桝形を築いたのです。


現在の姿: 旧中山道はこの階段をのぼってガードレールがある道路に出る


現在の道は人が通行しやすくしているが、往古は軍事的防衛施設として通行しにくくしていた

  上の写真が示すように、現在の桝形跡にある階段道は、同じ方向にのぼっていく階段2つを連結していますが、往時は、二度ほど折り返してジグザクの階段道にしたと推定できます。現在の道は歩行通行の効率や容易さを目標としていますが、往古には、敵の進軍を阻む軍事的障害なので容易な通行を制限したり妨げたりしていました。