妻籠恋野の鯉岩はこんな形だった

  妻籠の北の外れ、恋野にあったと言われる「鯉岩」を、江戸時代の道中旅案内の記事にもとづいて想像し、復元絵図に描いてみました。あくまで私の想像ですが。
  見る角度と陽の当たり具合によって、上掲の絵のように見えたらしいです。
  要するに魚の形に見えないこともない、という形の岩で、鯉というよりもシャチが頭を上にして海面に飛び出ようとしているような形です。しかし、江戸時代の人びとには、鯉が滝を昇る姿のように見えた・・・いや、想像力をかき立てたということらしいです。
  1891年(明治24年)、濃尾大地震により岩が割れて頭の部分が崩れ落ち、さらにその後、いくつにも割れ落ちたりてしまい、現在の状態になったそうです。