和合の蛇抜け沢


  急峻な木曾谷を往く旧中山道沿いには、村ごとに「蛇抜け沢」と呼ばれる急流の沢があります。 蛇抜けとはもともと蛇が脱皮すること、あるいはその抜け殻を意味していたようですが、木曾谷では、蛇行する急流の沢が豪雨の後などに引き起こす土石流を意味するそうです。
  土石流が、沢が普段蛇行する流路を乗り越え外れて最短距離を直線的に押し下る様子が、蛇が脱皮するように見えるからかもしれません。
  中山道木曾路の旅では、木曾谷の風土を知るために、和合の蛇抜け沢を探索してみます。


◆土石流を防ぐための苦難と努力◆



和合の旧中山道から見おろす蛇抜け沢とその石垣護岸。急勾配で、すこぶる頑丈な造りだ。


▲沢の畔から貯木場と桃介橋を望む。段丘の下にある貯木場は、撮影地点から200mもない。


▲この坂をのぼるって蛇抜け沢に架かる橋を渡る
 家並みの背後の峰は南木曽岳の尾根。


▲和合の集落の土蔵のある家並み


▲蛇抜け沢を北に越えて三留野に向かう旧中山道


▲JR中央西線の効果をくぐる蛇抜け沢(晩秋)


▲沢は南木曽街市街を抜けて桃介橋の東袂で木曾川に注ぎ込む

 この蛇抜け沢は、山腹で集まって小さな流れができてから300メートル前後で木曾川に流れ込む。急斜面を流れる小さく短い沢が恐ろしい土石流をもたらすのだ。結局、沢の周囲の土砂に水が触れないようにして、木曾川に流し落とすしか手がないということらしい。

 蛇抜け沢から北に600メートルほどのところに梨子沢という急流がある。はるかに流量が大きく深い渓谷を刻んで流れている沢だ。梨子沢は2014年夏に大規模な土石流を起こした。「梨崩し」という言葉があるように、梨子沢という呼び名も「土砂崩れを発生させる沢」という意味が込められているそうだ。木曾谷に特有の地理環境を物語る地名だ。


蛇抜け沢の傍らの秋葉社(水神社も合祀か)

  すでに書いたように、蛇抜けとは、もともとは蛇が脱皮すること、またはその抜け殻を意味していたようです。蛇の外皮は、クワガタムシの外骨格のように強固な鱗が結合しケラチン質なので、身体が大きくなるのを邪魔します。そのため、蛇は脱皮するのですが、これを蛇抜けといいます。脱皮のさい蛇の身体は何割増しにも大きくなります。内側の鱗は柔らかく膨張できるのです。
  急峻な木曾谷に暮らす人びとは、大雨の後で沢がもたらす土石流を見て「蛇抜け」を連想してそのように名づけたのではないでしょうか。人びとは、小さな沢が豪雨後の後に急膨張して、くねくねと蛇行する沢筋を乗り越えて、周囲の土砂を巻き込んで押し流す自然の驚異・破壊力を怖れ警戒したのです。
  土石流としての蛇抜け引き起こす沢――「蛇抜け沢」と呼ばれる――は、普段、わずかな水が流路の底をチョロチョロ流れる小さな沢でしかありません。普段はほとんど存在感がないので、蛇抜け沢という呼び名のほかに名前はつけられないようです。

  沢の蛇抜けは、木曾谷では珍しいものではなく、人里近くのあちらこちらで繰り返されてきました。そのため、各集落ごとに「蛇抜け沢」と呼ばれる小沢があります。旧三留野村和合から次の街道宿場まで、その近隣で「蛇抜け沢」と呼ばれる沢は3筋あります。ひとつの宿場集落に最低ひとつは蛇抜け沢がある勘定です。
  この和合の蛇抜け沢は、妻籠を出てから最初に出会う蛇抜け沢です。このあと野尻宿まで、阿寺渓谷の東にある村にもひとつあり、その次は、野尻宿に入る手前にひとつあります。
  巻頭の写真が示すように、普段のの流水量に対してこの石垣の護岸は大げさすぎるように見えます。しかも、写真の流水量は夜来の雨の跡のもので、これでも普段よりも流水量が相当に多いのです。ほとんど水が流れていないときもあります。
  そういう沢が危険なのです。そこで、治水=防災対策としては、谷を掘り下げて深い護岸壁をこしらえて、山から来る水を直線的に最短の流路で木曾川に誘導することになります。これは、人びとの生存がかかる知恵なのです。


JR鋼鉄路の下を流れる蛇抜け沢(真夏)


沢渓の畔にある「うだつ」を備えた料理屋の建物

前の記事に戻る || 次の記事に進む |