木曾平沢街歩き絵地図

  この絵地図は、木曾平沢の街の南端に設置されている説明板の地図を加工して作成したものです。左下が北で右上が南です。右下方向に奈良井宿があります。
  この絵地図にあるように、平沢の集落を通り抜けている道は4本あります。この絵地図では上から、駅前を通る道、中山道、金西町通り、そして奈良井川河畔の道があります。集落は、奈良井川の対岸にもあります。
  集落の南と北の両端には街を鎮護する神社があります。これは、奈良井などの有力集落(宿場町)に倣ってのことでしょう。
  このサイトでは、主に中山道沿いを街歩きすることになります。
  本文で見るように、中山道は大きく湾曲しているので、町屋の配置(家の向き)が独特のもので、平沢特有の街並み景観を形づくっています。

  平沢集落は、江戸時代には宿駅としての奈良井の支郷として位置づけられていて、大名の参覲通行のための荷物運びなどで人手不足になった場合には、手伝い要員を派遣することが義務づけられていました。そして、奈良井の有力商人の采配下で木工漆芸品の製造をおこなっていました。卸売商人としての奈良井商人が、平沢で製造された木工漆芸品を独占的に仕入れたのです。製品の品質仕様や分量は、すべて卸売商人が職人たちに指定していたのです。
  江戸時代には、公的な場としての街道沿いで商品を販売することは、いわば身分的(あるいは職分的な)特権となっていたので、支郷の職人たちは自ら製造した木工漆芸品を自ら旅人などに販売することはできませんでした。
  そういう身分制度と結びついた統制から自由に平沢の木工漆芸が発展するのは、身分制度が廃止された明治以降になってからのことです。
  そして、品質の高さが要求される漆芸品の生産がこの街の地場産業として成長したのは、漆塗りの下地をつくるために漆に混ぜる材料である錆土がここで産出されたからです。