◆小野・矢彦両神社の社叢を散策する◆


小野・矢彦両神社の社叢 絵地図

  社叢は霧訪山の尾根の裾野にあるため、絵地図の左上側から右下側に向けて非常に緩やかな下り斜面となっている。社叢の東側と南側に人為によるものも含めて池がいくつかあるのは、尾根筋を水源として社叢の内部や周囲を流れ下る沢や伏流水が水源となっている。


▲集落の中央部の樹林だが、深い山中の森のよう

▲石柱は塩尻市と辰野町との境界標

▲ヒノキ、サワラ、カヤ、杉、モミ、ケヤキ、カツラ、カエデ、ミズナラ…

▲樹林の奥から矢彦神社の奥本殿群を透かし見る

▲境界線に沿った遊歩コース。木漏れ日が小径に模様をつくる。

▲木漏れ日を浴びて低木や草本も繁茂する

▲小野神社の「三ノ柱」は本殿裏、森の奥に立つ
  小野・矢彦両神社の社叢(鎮守の杜)は小野の最も特徴的なランドマークです。
  日本の神社は、ほとんど山岳や森林、海や湖水などの自然物を信仰の中心対象(ご神体)としているので、神社の境内に樹林があるのはごく普通のことです。というよりも、信州の神社の多くは、人間世界と深い山岳や山林とを結ぶ境界にある場合も多いのです。
  しかし、往古からの現生の自然林をそのまま保存して――しかも集落の中央部にあって民家に取り巻かれながら――社叢としているという点では、小野・矢彦両神社はきわめてユニークです。
  この森は、その背後に神が身を潜めている「たのめの森」なのです。「たのめ」とは「人びとが心のよりどころとする」――したがって、人が蝟集して崇め、祭り、祝う――という意味なのでしょうが、「その背後に神(宇宙の摂理)が宿っている」という意味もあるようです。後者は前者の根拠をなしているようです。

【写真上:矢彦神社の「三ノ柱」】

  かつて両神社の境界に立っていたサワラの老巨木は、先端が枯れて切られていても樹高が30メートル以上もあったそうです。また小野神社「四ノ柱」の近くに立つカツラの巨木は、周囲10メートル以上にもなります。
  別所温泉の北向観音境内のカツラも同じような大きさで樹齢は120年と言われていますから、社叢のカツラも樹齢1000年を超えていそうです。
  小野の人びとは、1000年以上も前から現生の自然林を保護してきたということになるのでしょう。

  とはいえ、このように植生と生態系を保護しながら、人間の側はこの社叢を行政的に管理しているのです。その象徴は、社叢の南北中央を横断している塩尻市と辰野町との境界で、旧三州街道沿いには境界の石標が設けられています。
  神社の境内の周囲は塩尻市北小野ですから、弥彦神社の境内の分だけ辰野町の飛び地がここにあるわけです。
  遅くとも鎌倉時代の神官団の派閥争いを起源として戦国期の領地争いに決着をつけた豊臣秀吉の裁定によって画定された境界が、明治以降にも行政区画の奇妙な分離をもたらしているのです。
  それでも、行政区画はまさに人為的に設けられた擬制(仮構)にすぎないものであって、自然林としては一体の植生と生態系を形成しているのです。

  人為という点では、小野神社境内北東端に池泉回遊式庭園は大正中期に庭師、萩原苔山によって作庭されたものです(池畔の説明板による)。このほかに矢彦神社の側にも池がありますが、これは起伏に富んだもともとの地形に人間の手宇を加えて中島をつくったりしたようです。
  社叢の内部や周囲には霧訪山の尾根筋を水源とする沢・小河川が少なくとも二筋ほど流れているのです。


古町の山際から眺めた北小野の風景。中央の杜は、小野・矢彦両神社の社叢。

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