◆自然食レストラン「こめはなや」◆


▲周囲の田園に自然に溶け込んでいる建物

▲室内の様子:小洒落ていて古い宿場街に合った雰囲気

▲古民家が並ぶ小野宿の景観との調和している

  小野上町には自然食レストラン「こめはなや」があります。小野地区の知的文化的水準は食物に関しても高いのです。信州では50年ほど前から都市部で地道な「自然食」運動が進められていますが、小野のような農村部では珍しいものです。
  観光客も地元の人びとに交じって、無農薬栽培の自家製野菜や玄米・雑穀などを素材にした、健康志向で美味なランチタイムが楽しめます。

  レストランの向かいには武家屋敷があって、いかにも古い街道宿場街という趣です。



◆古田晁記念館とその界隈◆


▲旧街道から見た記念館の様子

▲こじんまりと端正な母屋
  古田晁記念館は1996年に創立されました。古田氏は筑摩書房という出版社の創立者です。
  記念館敷地内の案内板によると、創立の2年前に市の遺族からその成果と庭園、土蔵が塩尻市に寄贈され、さらに記念館創立の4年後には母屋が寄贈されたそうです。こうして、古田邸が記念館となったようです。
  出版社の名称の筑摩とは、松本や塩尻以北の古い地名で、北小野もかつては筑摩郡に属していました。古田氏は郷土愛から出版社名に筑摩をつけたのではないでしょうか。
  筑摩書房は岩波書店と並んで信州出身者が創設した出版社で、良心的な出版活動数多くの文芸書、学術書を世に送り出し、日本の出版文化に大きな貢献をしてきました。
  ところで、記念館の庭園の入り口には小さな薬医門があります。普通、門は通りに面して邸の入り口となっていますが、この薬医門は通りに対して直角の位置です。
  これは、塩尻市の農村集落の富裕層に特有の門構えで、門の設置に対する藩の規制がなくなった明治以降に普及した――遠慮気味に敷地内に通りに武家風薬医門を直角の位置に建てる――様式だと思われます。


▲旧三州街道の両側には小さな前庭・植栽があって、街歩きが楽しい

◆近くにある緑地は神社の跡か?◆
  この辺りから古町まで旧街道の両脇には家ごとに小さな前庭植栽があって、緑の帯が道を縁取っています。東京都の高級住宅街にもまさる美しい家並みを構成しています。

  そんな風景を楽しみながら少し北に歩いたところ、道路の東側に何やら古い神社の跡らしい緑地があります。小さな祠もいくつか並んでいるうえに、社殿を覆っていた蓋殿も残されています。緑地の端には荒廃した社務所のような建物もあります。
  鎮守の森ともいうべき杉や松、落葉樹の巨木からなる樹林もあります。
  しかしながら、この場所に何があったのかを示す記録や史料は見つかりません。
  そして、最近ここで祭事がおこなわれた痕跡や気配はありません。じつに不思議な場所です。

▲庭園の入り靴にある小ぶりな薬医門
 通りのすぐ脇なのに通りに対して直角の位置にたてられている。


▲母屋の裏手にある庭園





▲古田記念館の北にある神社跡と思しき緑地。ここには鳥居や祠、蓋殿などがある。

▲かつては社殿を覆っていたと思しき蓋殿



▲小さな祠もいくつか並んでいる



◆大出の大清水と秋葉権現社◆


▲池端には「大清水」の立札と石碑

▲「ふるさとの水20選」となっている

▲池の中央には小さな石の祠が置かれている

▲池の隣には秋葉権現社の鳥居と祠がある





  小野は西に霧訪山、東に小野峠という山岳に囲まれた盆地のなかに位置し、それぞれの嶺から延びるいくつもの稜線に挟まれた複合扇状地です。盆地の底は小野川で、東西から川や沢の水流を集めて流れています。また、山腹や稜線からの伏流水が両小野宿の集落のなかに湧き出しています。
  なかでも大出の大清水は有名です。ここには大量の清水が湧き出していて、隣に秋葉権現社の小さな祠があります。火伏の神である秋葉神社が湧水泉の脇にあるのは、いかにも似つかわしい風情です。


【写真上:旧三州街道から国道153号に連絡する集落内の小径】

  この水は以前は隣村の灌漑用水として利用されていたとか。さらに、養蚕が盛んだった明治から大正、昭和期には製糸業の用水として利用されていたそうです。
  池の中央には小さな石の祠がありますが、これは水辺によくあるような水神様でしょうか。
池の脇には秋葉権現社の鳥居と祠があります。秋葉社は、大出や古町、宮前、上田など、地区ごとに祀られています。


【写真上:近所にある古民家と庭園】


◆小野・矢彦両神社の社叢を散策する◆

小野・矢彦両神社の社叢 絵地図

  社叢は霧訪山の尾根の裾野にあるため、絵地図の左上側から右下側に向けて非常に緩やかな下り斜面となっている。社叢の東側と南側に人為によるものも含めて池がいくつかあるのは、尾根筋を水源として社叢の内部や周囲を流れ下る沢や伏流水が水源となっている。


▲集落の中央部の樹林だが、深い山中の森のよう

▲石柱は塩尻市と辰野町との境界標

▲ヒノキ、サワラ、カヤ、杉、モミ、ケヤキ、カツラ、カエデ、ミズナラ…

▲樹林の奥から矢彦神社の奥本殿群を透かし見る

▲境界線に沿った遊歩コース。木漏れ日が小径に模様をつくる。

▲木漏れ日を浴びて低木や草本も繁茂する

▲小野神社の「三ノ柱」は本殿裏、森の奥に立つ
  小野・矢彦両神社の社叢(鎮守の杜)は小野の最も特徴的なランドマークです。
  日本の神社は、ほとんど山岳や森林、海や湖水などの自然物を信仰の中心対象(ご神体)としているので、神社の境内に樹林があるのはごく普通のことです。というよりも、信州の神社の多くは、人間世界と深い山岳や山林とを結ぶ境界にある場合も多いのです。
  しかし、往古からの現生の自然林をそのまま保存して――しかも集落の中央部にあって民家に取り巻かれながら――社叢としているという点では、小野・矢彦両神社はきわめてユニークです。
  この森は、その背後に神が身を潜めている「たのめの森」なのです。「たのめ」とは「人びとが心のよりどころとする」――したがって、人が蝟集して崇め、祭り、祝う――という意味なのでしょうが、「その背後に神(宇宙の摂理)が宿っている」という意味もあるようです。後者は前者の根拠をなしているようです。

【写真上:矢彦神社の「三ノ柱」】

  かつて両神社の境界に立っていたサワラの老巨木は、先端が枯れて切られていても樹高が30メートル以上もあったそうです。また小野神社「四ノ柱」の近くに立つカツラの巨木は、周囲10メートル以上にもなります。
  別所温泉の北向観音境内のカツラも同じような大きさで樹齢は120年と言われていますから、社叢のカツラも樹齢1000年を超えていそうです。
  小野の人びとは、1000年以上も前から現生の自然林を保護してきたということになるのでしょう。

  とはいえ、このように植生と生態系を保護しながら、人間の側はこの社叢を行政的に管理しているのです。その象徴は、社叢の南北中央を横断している塩尻市と辰野町との境界で、旧三州街道沿いには境界の石標が設けられています。
  神社の境内の周囲は塩尻市北小野ですから、弥彦神社の境内の分だけ辰野町の飛び地がここにあるわけです。
  遅くとも鎌倉時代の神官団の派閥争いを起源として戦国期の領地争いに決着をつけた豊臣秀吉の裁定によって画定された境界が、明治以降にも行政区画の奇妙な分離をもたらしているのです。
  それでも、行政区画はまさに人為的に設けられた擬制(仮構)にすぎないものであって、自然林としては一体の植生と生態系を形成しているのです。

  人為という点では、小野神社境内北東端に池泉回遊式庭園は大正中期に庭師、萩原苔山によって作庭されたものです(池畔の説明板による)。このほかに矢彦神社の側にも池がありますが、これは起伏に富んだもともとの地形に人間の手宇を加えて中島をつくったりしたようです。
  社叢の内部や周囲には霧訪山の尾根筋を水源とする沢・小河川が少なくとも二筋ほど流れているのです。


古町の山際から眺めた北小野の風景。中央の杜は、小野・矢彦両神社の社叢。