海野宿の街並みと歴史めぐり絵地図

  上掲の絵地図は、東御市商工観光課が発行している「海野地域歴史巡りマップ」に少し修正を加えた絵地図です。この絵地図は「北国街道とともに歴史を紡いできた、海野地域の史跡をめぐる」というテーマで制作されたものです。
  北国街道海野宿の街並みのうち、Gの白鳥神社から西桝形跡までが「海野宿伝統的建造物群保存地区」の指定されています。そのなかでも、白鳥神社から洗馬道・中島小路までが「伝統的景観区域」で、そこから西側の西桝形跡までが「歴足的風致地区」となっています――下掲絵地図参照。
  観光客の大半は、白鳥神社からせいぜい西桝形までを眺め歩くだけで終わってしまいますが、和風家屋の家屋が並ぶ美しい街並みは、西海野地区(上掲地図で草茶色となっている区間)まで続いています。その道のりは、およそ1キロメートル弱です。
  私としては、この約1キロメートル全部を歩くことをおススメします。
  往時は白鳥神社前(東桝形)から西桝形まで宿駅としての街並みは6町(650メートル)ほどの長させした。この街並みは「上宿」「中宿」「下宿」と3つの街区に分かれていたそうです。しかし、本陣跡辺りが中宿であったこと以外には、どこまでが上宿あるいは下宿だったのか、今は不明です。
  街区の区分がたとえば中山道の標準であれば、西側(京側)が上宿で、東側(江戸側)が下宿となるはずですが、ここは北国街道なので、北越に近い方が上手なのか、江戸に近い方が上手となるのか、私にはわかりません。

海野宿 空撮写真 出典:東御市教育委員会発行の観光案内資料「信州北国街道 海野宿」

  下の絵地図は、東御市教育委員会発行の観光案内資料「信州北国街道 海野宿」にある町割り(街や各戸の敷地割り)を説明する絵図です。
  宿場街に一般的な短冊形の――間口が狭く奥行きが深い――地割りは、街道の南側の方が典型的で、北側はかなり間口が広くなっています。これはおそらく、街道のひとつ北側の小路が古い東山道の遺構で、それに沿って中世以来の豪族海野氏の城下町が形成されていたため、古い街並みを維持しながら雲所宿という宿駅が建設されたからだと思われます。
  街道に面した側には問屋や店舗などの主屋(多くは住居兼用)があって、その奥に納屋や離れ屋、さらに奥には畑作地ないし奥庭があったのでしょう。有力商家や豪農の場合、敷地の奥に住居(使用人も暮らす)や蔵、中庭が配置されていたようです。

海野宿の古民家群と屋号

  下の絵地図は、東御市教育委員会発行の観光案内資料「信州北国街道 海野宿」からトリミング編集加工してつくった、重要伝統的建造物群保存地区の古民家町家群と各家屋の屋号を説明する絵図です。
  ことに近年、古民家を修復・復元して、街並みは一段と美しく、なおかつ往時の景観を回復してきています。古民家町家を探る街歩きの参考にしてください。