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長野県上水内郡小川村
 
 
日本で最も美しい村の山寺  

  小川村の宝珠山高山寺の三重塔は、おそらく日本で一番雄大な景観のなかにある仏塔だろう。
  というのは、北アルプスと平行に走る長い尾根の高台に高山寺が位置していて、境内で野口五郎岳から白馬岳まで連なる峰々を一望できるからだ。

▲高山寺の三重塔 北アルプスを背景に▲
  この寺がある小川村は、「日本で最も美しい村」というキャッチフレイズで自己表現している。村が誇る美しさには、この雄大な風景が当然含まれるだろう。
  三重塔は、後立山連峰を背負うかのように屹立している。小さな村の小さな寺院だが、どこにも負けない壮麗な風景を味わえるところだ。
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■小川の庄の名刹■

  小川村は、大町街道と戸隠街道とが出会う交通の要衝に位置しています。
  大町街道は、古代から京を発して東山道(中山道)を下り、安曇野を経て善光寺にいたる道でした。その中間にある小川は、峻嶮な山岳地帯のなかでも緩やかな尾根や谷間、山腹を縫って戸隠神社にいたる街道への分岐点でした。

  小川の庄の主要部は、何本かの緩やかな尾根のあいだの谷間に開けた比較的に平坦な扇状地からなっているので、山林資源を利用しながら、古くから肥沃な農耕地を開拓してきたようです。

  肥沃さと戸隠神社との結びつきを土台に、平安時代の9世紀には北信濃の要衝として、この一帯は鳥羽上皇の領地(荘園)となり、小川の荘(庄)と呼ばれるようになりました。つまり京洛と結びついた統治機関を備えた自立的な行政管区としての地位を得たのです。

  北安曇・大町と善光寺との中間に位置した交通の要衝であったことと、豊かな農業や山林をもつことという地理的条件を背景に、小川には商業や旅籠が集積する集落(高府)が成長しました。

◆鎌倉幕府の命による寺院建立◆

  源頼朝は幕府を樹立するとただちに高山寺の移設と三重塔の建立を命じたとか。信濃の水内郡一帯の統治の要衝として小川の庄を位置づけたためでしょう。

  小川村を含む虫倉山系の山里には、古くは縄文中期から人びとが集住した集落の痕跡が残されています。そして、平安時代から貴人や僧侶たちが都を追われて移住したとか、平家の落人が逃げ延びて住まったとかの伝説が残されています。
  小川の里は、古くから都人や武門の有力者たちから北信濃の要衝として意識されていたのでしょう。

  三重塔建立の当時は高山寺は、数多くの末寺をもち七堂伽藍を備えた有力な寺院でしたが、やがて時の推移とともに荒廃し、江戸時代元禄期に木食山居上人(故信法阿)が倒壊しそうになった三重塔を修築して近代まで残したと伝えられています。
  木食山居は、その頃、虫倉山で修行していたようです。木食とは、五穀や火を通した食物を断ちそばや山野の果実などだけを食べるという戒律にしたがう修行僧です。


古くから、豊かな山里は交通の要衝だった

小川村のかなたに望む戸隠連峰

北アルプスを背景にした山里

戸隠街道を登っていくと高山寺が見えてくる

街道側の門

西向きの三重塔

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