諏訪大社上社前宮の史跡・遺構・社殿群の配置

  上掲の絵地図は、諏訪大社上社前宮の十間廊も前にある安国寺区史友会による「史蹟案内図」です。この絵図は、中世から江戸時代までの史跡や遺構、社殿などの配置を示しています。
  諏訪大社上社前宮は、守屋山系の最北東端の尾根丘陵に位置しています。地形は複合的です。前宮公園がある大きな尾根と干沢城址がある尾根とのあいだの谷間にあるのですが、この谷間の中央はうず高い尾根をなしていて、その尾根の背に境内と社殿があるのです。
  したがって、前宮の主要な社殿群は尾根の背をなす丘陵に置かれていて、その東西両側に浅い谷が南北にはしっているのです。これらの谷間を流れる沢――樋沢や水眼沢など――が形成した小さな扇状地となっているのです。
  以上の3つの尾根の裾は、宮川と上川の浸食で形成された何段かの河岸段丘をともなっています。したがって、神社と周りの集落は、地形を利用した城郭の曲輪群のような構造になっています。そういう防御に適した地形に依拠して、ここに大祝氏が政庁と神殿を融合させた居館――神殿ごうどのと呼ばれた――を築いたものと見られます。

  ところで、この絵図では樹林(叢林)は、幕末から明治時代にかけて見られた地形・地理にもとづいて描かれているものと見られます。
  とすると、今は溝上社の左手には大鳥居があり、その左側(東側)は現在、商業地・住宅地となっていますが、もともとは境内神域となっていたはずです。社殿や祠がある樹林をなしていたものと見られます。

  下の地形断面図は、前宮の大鳥居から二の鳥居を経て本殿とその背後の丘までを結んだ線で断ち割ってみた場合の地形断面図です。