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■塩尻市平出の地形ジオラマ■


平出博物館所蔵・展示

◆平出遺跡公園 縄文の村◆

 

縄文の村に関する説明板 集落の配置図

同上 住居の使用⇒廃絶・投棄場所への変遷
  平出遺跡公園の最も主要な展示物は、ガイダンス棟前に広がる野原にある縄文の村の遺跡です。
  そこには、縄文時代の居住域2つが連結した双環状集落があったようで、そのうちの北西側の区域には住居群が復元されています。一方、南東側の区域は廃絶された住居群の跡が保存されています。
  これらの居住域の南側には、縄文時代の人びとが食糧や生活用具の材料を採集していた山麓の樹林――クヌギなど木の実がなる樹木など――の植生が部分的に再現されています。住人たちは、木の実や樹皮、ツタなどを採集して、食料や建材などとして利用していたのです。
  左に掲載した絵図は、廃絶住居跡にある説明板から引用したものです。
  居住域には中央広場を中心にして住居が環状に並んで集落を構成していました。
  私が勝手に考えるに、双環状集落のうち南東側の集落がより古くからの母集落で、人口が増えて開拓が進み、その北東側に新たな集落が形成され、これらが融合してより大きな集落が形成されたのではないでしょうか。

◆平出遺跡公園 古墳時代の村◆

 
 
古墳時代の村の説明板の絵 当時の生活環境を想定したもの
  平出遺跡縄文の村の西側には、古墳時代の村があって、1300年ほど前の住居と高床式倉庫が復元されています。
  説明板の文にあるように、有力者の家屋だということです。

  建物の基本構造は縄文時代のものを継承したままですが、住居母規模はずっと大きくなって、内部の木材の組み立て方や配置は格段に進歩しています。⇒参照記事
  外側から見ると、茅葺屋根の上部は横長になって大棟の原型とも言えますし、全体として入母屋風の形状になっています。

  何よりも、高床式の倉庫は湿気や水を避け、ネズミなどの侵入を防ぐようになっています。何よりも、有力者は長期にわたって保管すべき余剰食糧を保有しているわけで、集落内に明白な階層分化ないし階級分化が生じていることを意味しています。
  より高度な建築技術を用いた高床式倉庫は、その保有者の富や権威、つまりは地位の高さ、政治的指導力を象徴しているように見えます。

◆平出遺跡公園 平安時代の村◆

 

平安時代の村の説明板 一戸の住居とその周囲の環境

  平安時代の一戸の家屋が復元されています。左に掲げた絵からすると、平安時代のこの集落は散居型の集落で、住民たちは一戸個別に住居の敷地を営んでいたようです。これに対して、縄文の村は集住型の集落です。
  庭をともなう住居を中心にしてその周囲に耕作地を設けています。ということは、授民たちは高地に開拓と耕作を家族ないし家系単位でおこなっていたということです。
  耕作用の農具なども家族単位で保有し、たねや余剰作物なども各戸ごとに倉庫に保管していたと見られます。
  そして、耕作地があるということは、農作物ごとに種蒔きや耕作、灌漑、収穫などを季節のリズムに合わせておこなっていて、季節に合わせた行事や祭事もおこなわれるようになっていたでしょう。

◆平出博物館を訪ねる◆


縄文時代の土器の展示コーナー

古墳時代から平安時代の土器の展示

弥生時代 柴宮銅鐸

祭事に用いられた土器

江戸時代18世紀の農家の茅葺造りの家屋
  平出集落の南側の山麓にある塩尻市立平出博物館は、塩尻を中心として信州の太古から近代までの歴史と民俗文化にかかわる史料を所蔵・展示しています。歴史公園の一角にあるので、遺跡公園や歴史公園を回ったあとで立ち寄ってみると、この地域の歴史がいっそう理解できます。

  電話0263-52-1022
 休刊日は月曜日、祝日の翌日、年末年始
 開館時間 9:00〜16:30
 入館料 個人300円 団体(20名以上)240円
 小中学生は無料

  このページの上の方で掲載したジオラマは、この博物館の展示物です。

  私は、歴史公園の散策で見学した菖蒲沢登り窯跡で発掘された瓦塔が一番印象的だったので、以下にその写真を掲載します。




【塔は各層に分解して製作され、重ねて組み立てた。8世紀には国分寺が各地に建立され、仏舎利殿のありがたさや権威が知られていたので、各地の有力者が権威の誇示のために欲しがったのだろうか。】